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Part8(2002年2月26日〜28日)
再現シーン・冬編

2002年2月26日(火)
今日、山古志入りした。塩浜、山形の先発隊に遅れること6日、塩浜助監督の電話で一般道路は普通タイヤでもOKということを聞いていたので安心して普通車でやってきた。

去年のあの豪雪が嘘のようだ。今年は暖冬で雪も少ないらしい。撮影的にはかなりヒヤヒヤモノである。雪が少なくて撮影隊の移動が楽なのだが、やはり雪が少なくては欲しいショットが撮れない。焦って新潟地方気象台に電話してみた。
「どうなんでしょう?この先の降雪?」
「う〜ん、3月2、3日と冬型の気圧配置が強まるので雪が降る可能性は高いですが、なんとも・・・。」
言葉の歯切れが悪い。考えてみれば撮影という行為は天候との戦いといっても過言ではない。晴れのシーンなのに突然雨が降ってきたり、晴れたり曇ったりで同一シーンで画がつながらなかったり・・・。皆で雪乞いをしようかなどと思った。

うらめしくて天を仰いでも、曇った空が答えてくれるわけもなく、ただただ冬空をながめるしかなかった・・・・。(監督 橋本信一)
2002年2月27日(水)
今日は撮影部、技術部が入ってくる日。朝から山形と手分けして最後の準備にとりかかる。塩浜は東京にスタッフを迎えに行ったので我々二人だけである。とりあえず、まず役場に行き、青木勝氏、五十嵐豊氏と打ち合わせをすることに。(御二人は役場の総務課企画係の方です)

今後の撮影の件、空撮の件、議会のためのプレビューの件などを話し合う。その後、塩浜、山形両名が村の方々と一緒になって準備してくれたトンネルトロッコシーンの現場を下見する。準備の写真にもあったように村の方の献身的なご協力により、トロッコシーンのいい再現現場が出来た。みなさま、本当にどうもありがとうございました。



他の場所のロケハンもしようと歩いていたら、塩浜君から電話。スタッフが着いたようだ。合流後、みなでもう一度トロッコシーンの現場を見る。積雪が少なく、山肌が少し見えているのが残念だがこればっかりは致し方ない。本番の日までの降雪を期待するしかない。山古志の方々には申し訳ないけれど・・・・・。
(監督 橋本信一)

2002年2月28日(木)
今日は塩浜助監督がロケハンしてくれた場所の下見の日。峠を登る村人のシーンやツルハシを背負って隣村まで出かけた女たちなどのシーンの撮影場所を確認に行く。村の協力で雪上車を出してもらえることになった。峠の上まで行くには人力だけではおそろしく時間がかかってしまうので雪上車の出動は涙がでるほど嬉しい。本当に山古志村には多大な協力を頂いていてひたすら感謝、感謝の一語に尽きる。

雪上車の運転は村の除雪隊の方である。道なき道を雪上車は力強く登っていく。昔、立山アルペンルートの撮影で雪上車には乗ったことはあったが何度乗っても雪上車はすごい。雪山の斜面などもろともせず登っていくのだ。



雪上車で行けない所は徒歩である。カンジキをはいて歩く。峠近くでも雪質はザラザラの氷のような雪なので歩くにはそれほど苦労しない。新雪ではないので足が深く埋まらないのである。塩浜君がロケハンしてくれたおかげで場所の選定はそれほど時間がかからず決まった。

昼食後、夕方からの撮影の準備。第一発目の撮影はトンネル仕事に出かけた息子が心配で迎えに出る母親、という設定の再現シーンだ。提灯を持ってもらい、当時の衣装を着てもらっての出演。出演していただけるのは小松倉区長の奥さんである。

夕方、シュート。薄暮の雪の中を提灯を持ち、蓑を着た母親役が歩いていく。雪の中、一切音はしない。おそろしいくらいの静寂だ。幻想的なシーンになりそうだ。日が暮れてしまい、あとワンカットを残して撮影は終了。初日の撮影は終わった。息子を心配する母の心を伝えられたかラッシュが楽しみだ。
(監督 橋本信一)


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