Part4(1月20日、21日)

2001年1月20日(土)、21日(日)
「小川金男さんのこと」
15日から降り続いている雪は相変わらず止む気配はない。山古志村には豪雪対策本部が設置され、村人たちはこの異常な大雪に困惑していた。 古くは昭和38年の38豪雪というのがあるらしいが、それほどではないにしろ、近年稀にみる大雪であることは間違いない。 新潟県が豪雪なのは、シベリアの寒気が日本海を渡ってくる際水蒸気をたくさん吸収し、それが新潟上空で雪になるせいだという。
村の人たちからは、「お前たちが雪を連れてきた」といわれ、からかわれたが、本当 に新潟入りした15日から降り始めたので僕らもただ苦笑するほかはない。


大雪の際、大変なのは高齢者のお宅である。雪下ろしはとんでもない重労働なのに、それを自分たちでやらなければならないからだ。近隣の町では日雇いの雪下ろしを頼みたい人たちの電話が役場に殺到したらしいが、その多くが高齢者のお宅だという。 なんでも人手が足りないので、雪下ろしの日当がはねあがり、最高で2万円にまで達 してしまったらしい。 雪国・新潟にしてこれだからいかにこの大雪が尋常ではないかがわかる。 事情は山古志村でも全く同じだ。トンネル掘削関係者であり、中山トンネル保存会世話人でもある小川金男さんのお宅でも雪下ろし、雪掘りの作業が行われていた。 金男さんは奥さんとの二人暮し。息子さんや娘さんも近くにいるのだが雪掘りや雪下ろしは基本的には金男さんの仕事である。 僕らが撮影でお邪魔した時、金男さんは丁度、家のまわりの雪を掘っているところだった。 シャベル一つで家のまわりに積もった何メートルかの雪を取り除き、邪魔にならないところに捨てる。聞くとちょうど台所とトイレの窓が雪で覆われてしまい、光が入ってこないのだという。 トイレと台所がある一階が雪で完全に埋まってしまったからだ。


金男さんの雪掘り、見ていると実に手際がいい。あたりまえといえばあたりまえだが実に無駄がなく、淡々と進む作業に思わず見とれてしまうほどだ。実際、僕らも宿舎のまわりの雪掘りを少しやってみたのだが金男さんのようにはいかない。雪掘りは力ではなく要領なのだと気づかされる。 それにしても金男さんの仕事振りはどうだ。今年75才のお年とは到底思えない力強さである。 雪掘りをしてる時の顔がまたいい。黙々と働く金男さんの顔をみながら遠く金男さん たちの父母や祖父母の世代の人たちのことに思いを馳せた。 こうして毎年、毎年、雪と闘いながらこの土地で黙々と生きてこられたんだな・・ ・。いや、闘うというより雪と共存してきたというべきか・・・。 新潟の人のこんな言葉を聞いたことがある。

「雪が多いとこんな土地捨てて逃げたくなることがあるけど、やっぱり頑張って雪掘 りしてしまうんだよね。でも、もう嫌だと思い、逃げ出そうと思うと、春が来て雪が解ける。春がくるとこの間までの雪掘りの苦労なんて忘れてしまうんだよね。まあ、 いいかって(笑)。春になれば全部解けて雪なんて跡形のなく消えてしまうけど、それ見ると、ああ、あの苦労は一体何だったのかなって・・・。春になれば消えてしま うものに一喜一憂して暮らしてる 自分たち。でも、そんな冬があるから春の花々や鳥や芽吹きが とっても新鮮に何者にも代えがたい美しいものとして見えてくる。 ああ、ここもいいなあ、と思っているとすぐあの厳しい冬がやってくる。でも、人間の暮らしなんてこんなものなのかもしれないね」


金男さんは、戦時中、シベリアに抑留され、食べ物もない酷寒の地でつらい日々を送った。22年に帰国するとトンネル仕事を手伝いながら、夏は田んぼで汗を流した。食べるものもない中、村のために黙々と穴を掘りつづける日々・・・。 その後、嘱託で愛知の紡績工場に中学生を紹介する仕事を25年近く続けてきた。 金男さんの顔のしわにはそんな75年の人生の年輪が凝縮されている。 「ちょっと、休まんかね?」 金男さんが笑顔でいった。 そうか、カメラがまわっているから休むに休めなかったんだ。 つい夢中になって気がつかなかった僕らを責めもせず、金男さんはにっこり笑うと そっと額の汗をぬぐった。 こうして家のまわりの雪掘りを毎日続けているが、すぐに新雪が積もってしまうので困ってしまう、と金男さん。 明日は息子さんが来て、土蔵の屋根の雪下ろしをしてくれるという。 「困ったもんだねえ・・・」 金男さんは、腰をぽんぽん叩きながら小さくつぶやいた。

雪は相変わらずしんしんと降りつづけていた。


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