2002年10月11日
「折り梅」上映後トーク
「忘れてもしあわせ―あるがままを受けとめて―」

 
ゲスト:松井久子氏(製作・監督・脚本) 吉行和子氏(女優)
    白鳥あかね(しんゆり映画祭実行委員長・共同脚本)
飛び入りゲスト:川上晧一氏(撮影)
司会:阿部朋子氏
(以下、敬称略)
原作との出会いは「ユキエ」の上映会で
阿部:皆さん、今日はお忙しいところ、第8回しんゆり映画祭オープニング上映「折り梅」にお越し頂きまして、ありがとうございます。
この素晴らしい映画、たった今終わったばかりということで、まだ皆さん、余韻が覚めやらぬと思います。この映画、皆さんいかがでしたでしょうか。私は、何回か観させて頂いたんですけれども、見る度に、もう涙が流れてしまって、今日も随分とハンカチを振り絞った方が、たくさんいらっしゃるんじゃないでしょうか。

さて、今日は、ここからゲストトークということになりまして、素晴らしいゲストの方、3名の方をお迎えしてトークショーということで楽しんで頂くことになっています。最後の方で、会場の皆さんから、質問という形で受けさせて頂きますので、この機会に“何か、聞いてみたい”ということがありましたら、是非手を挙げて、皆さん、質問をお寄せ頂きたいと思います。

今日、御登場頂くのは、この「折り梅」の監督をされた松井久子さん、素晴らしい演技で私達を魅了して下さった女優の吉行和子さん、しんゆり映画祭実行委員長であり、この「折り梅」では共同脚本という形で参加されている白鳥あかねさんです。それでは皆さん、どうぞ大きな拍手でお迎えください。
(会場拍手)
舞台、阿部の両脇には絵が飾られており、ゲスト席の後ろには大きな梅の木のオブジェが設置されている。

阿部:さて、会場には、皆さんお気付きだと思いますけれども、映画にも登場しました、この絵ですとか、そしてこの素敵な梅のオブジェですとかございます。この梅はボランティアの皆さんが作られたということです。また、この絵に関しては実際に映画で使われましたが、原作のモデルになりました小菅マサ子さんが実際に描かれた絵なんだそうです。映画の中に登場したものが本当にあるっていうのが素晴らしいですよね。
それでは、松井久子監督、そして吉行和子さん、白鳥あかねさん、今日はどうぞよろしくお願い致します。

阿部:まずは、一言ずつ会場の皆さんに御挨拶をお願い致します。それでは、松井久子さんからお願い致します。

松井:はい。松井でございます。今日はどうもありがとうございました。
(会場拍手)

松井:ありがとうございます。
私は、ここのところ毎日「折り梅」の上映会で、あちこち回っていて、今日も午前中は松戸に行ってきたんですけれども、いつもは、その街々のホールでやるので、今日はここ(ワーナー・マイカル・シネマズ新百合ヶ丘)で、「ユキエ」の時もお邪魔させて頂いたんですけども、ここに戻ってきた時に“あー、映画祭らしいな”という風に感動して、ちょっと緊張しております。ゆっくり、この映画のいきさつ、できたまでの道のりなどを、お話させて頂きたいと思います。今日は、本当にありがとうございました。
(会場拍手)

阿部:松井さんは、たった今ね、本当に着いたばかりで、そこの通路のところで私もお会いしたという感じで、駆けつけて下さったということなんですね。
さあ、それでは、お隣の吉行和子さん、よろしくお願い致します。

吉行:どうも、こんにちは。
(会場拍手)

吉行:噂には聞いていたんですけれど、今、ロビーを通って、こちらに伺いましたら、本当に何かあやしげな華やかさで、映画の好きな方達が集って、御考えになったんだろうなと思い、とても素敵な雰囲気でした。
この梅とか絵とかを見ても、何か、凄いですね。参加できて嬉しいです。どうも。
(会場拍手)

阿部:ありがとうございます。それでは白鳥あかねさん、お願い致します。

白鳥:あの、自分のお膝元のしんゆり映画祭で、自分が松井さんと一緒に脚本を書いた映画を上映できて、そしてこんなに大勢の皆さんに見て頂ける。人間として、こんなに幸せなことはないと思っています。どうも皆さん、ありがとうございます。
(会場拍手)

阿部:それでは早速、質問させて頂きたいと思います。
まず、松井監督にお伺いしたいんですが、この「折り梅」の原作である小菅もと子さんとおっしゃる方の「忘れても、しあわせ」という本なんですけれども、この御本は、松井さんにとって、前作の「ユキエ」、アルツハイマーを扱った作品の上映会での出会いがきっかけだった、という風に伺っております。そのいきさつについて、教えて頂けますか。

松井:はい。私は前に、このしんゆり映画祭に「ユキエ」でお招き頂いたんですけれども、あれが初めての映画作り・監督をした初めてのもので、何せ、資金集めに3年かかって、アメリカで作っていた間が1年、できあがってから公開するまでにまた1年と、5年もかかって、やっとお客様に見て頂くという状況だったものですから、“映画作りってこんなに大変なのか”と、“2度と、もう、こんなエネルギーは使えないな”と、“映画を作るということは一生に1度のことだな”という風に、「ユキエ」が公開になった時に思ったんですね。

ところが、今も続いているんですが、劇場公開の後に「ユキエ」の上映会が全国で行なわれて、これは650ヶ所を越えたんです。100ヶ所ぐらい目ぐらいかしら、割に、私自身が上映会に招いて頂くことが多くて、たくさんのお客様と御会いして、いつも励まされているうちに、“あー、何か、また作りたいなあ”って少しずつ思うようになっていた時に、愛知県の豊明市、今見ていただいた豊明市のお隣に、東郷町という町がありまして、そこに原田さん役の小菅もと子さんが、吉行さん役のマサ子さんというお婆ちゃんをお連れになって、「ユキエ」を見に来て下さって、それで私の楽屋を訪ねて下さったんです。で、お婆ちゃんは涙ぐんでいらして「ユキエさんは私とおんなじだね」っておっしゃるんですね。

それで、 “ああ、痴呆になっても、ちゃんと映画を御覧になって、理解して、御自分と重ね合わせて、解って下さったんだな”って嬉しかったですけど、その小菅お嫁さんの方が、「監督、私の書いた本を読んでくれますか」って、その時思いがけなく渡して頂いたのが、最初の原作との出会いです。で、読むままに、“ああ、こんな事実、こんな実話があるんだ”って、“これは私が「ユキエ」の次に作るのにふさわしい、というか自分が作ってみたい映画だな”っという風に思って、そこからまた動き出したという感じなんです。

阿部:そうですか。「ユキエ」の時の観客の方からスタートした、ということは非常に素晴らしいことだと思うんですけれども。

松井:本当に。ですからね、全部、全て、映画が出来上がるまで全部「ユキエ」で出会った方達の力によって作らせて頂いた、という感じなんですけれども。
阿部:そうですか。じゃあ、もしかしたら、今日のこの観客の皆さんの中からもしかしたら次作、その次の作品が生まれるかもしれない、という訳ですよね。そこら辺の次作についても、後程じっくりお話伺っていこうと思います。
“もうこれは、やるべきだ”と思って、決心しました。(吉行)
阿部:さあ、それでは吉行さんにお聞きしたいと思います。
吉行和子さんにとって、この「折り梅」という作品、政子という役なんですけれども、非常に難しい役だったと思います。21世紀最初のお仕事になったと伺っているんですけれども、最初に、その出演依頼をお受けになったいきさつはどういうことだったんでしょうか。

吉行:あのう、私、長いこと女優やってまして。ほとんどデビューなんですけども、今村昌平監督の「にあんちゃん」に出して頂いて、それまで舞台ばっかりやってたんですけど、映画の面白さにも目覚めました。長いことやってまして、「にあんちゃんは」良かったんですけどね、その頃はとても面白い映画もあったんですけど、なかなかこういういい役にぶつからない。でも、やっぱり女優は続けていた訳です。で、21世紀になって“何か、新しいことが私に起こらないかな”って思ってたんです。そこへ、この「折り梅」のお話を頂きました。

最初は“えっ”と思った訳です。まあ、女優というのは浅はかで、1つでも2つでも自分より若い役が来れば“まだやれるからな”みたいな、“嬉しい”と。まあ、これは女優だけじゃなくて、女性は誰でもちょっと少し若く見られると嬉しいっていうのがあると思うんですけどね、女優っていうのは特にそういう面が強いもんですから、“あ、えーっ”と思ったんですけれど、本を読ませて頂いたら物凄く感激したし、これはこれをやることで、私も“今後も、これからも続けていく女優生活の、また21世紀のスタートになる”って思って、“もうこれは、やるべきだ”と思って、決心しました。それからは、もう、ほんっとに日々楽しく過ごしました。本当にこれと出会えて良かったな、と思う作品です。

阿部:そうですか。実際の小菅マサ子さんは、78歳のお役でしたっけ。

吉行:そうでしたね。

阿部:それくらいのお役、ということで、かなり、やはり、開きがありますよね、吉行さん。

吉行:ええ、かなりあって、良かったと思いますけれども(一同笑)。

松井:申し訳ないなって思いながら、おずおずと、お願いにっていう感じです。

阿部:そうですか。あの、元々松井監督は、吉行和子さんの大ファンでいらっしゃる。

松井:はい、もう、昔っから、子どもの、「にあんちゃん」小学校の時観ました。(一同笑い)

吉行:年の差を感じますね。
(一同笑い)

阿部:そうですか。大体、吉行さんを念頭に置きながら、脚本なんかもお書きになられたんですか?

松井:原田さんと吉行さんは、もう脚本の後半の頃からは、頭に思い浮かべながら書きました。皆さん観て頂いてお解りになると思うんですけれども、このお婆ちゃんの役は、簡単に、カタキ役になっちゃう役なんですね。年相応のそれなりの方がおやりになると、もう憎たらしいお婆ちゃんになっちゃう。そうなったら、この映画は失敗だと思って、で、私は、とにかくお客様が御覧になって、“このお婆ちゃんの気持ち、解る。愛おしい”っていう風に思って頂けるような女優さん、と思って、で、吉行さん、て思っちゃったんですね。“断られるんじゃないかな”って80パーセントくらい思いながらもお願いしたら、もう本当に、すぐにね、引き受けて頂いて。

阿部:そうですか。

松井:ええ。ついその前までは、もうずっと憧れていただけの方と、本当に最高の出会いをしたと、生涯の出会いをさせて頂いたと思ってます。

阿部:そうですか。本当に吉行さんのお婆ちゃんは、“可愛らしい”っていう感じでね、特にあの前髪、こう集めるところなんかがね、何か凄くこう“可愛らしいなあ”っていう風に、思わず微笑みながら、でも全然憎々し気な感じにはどうしても思えなくて、“可愛らしいなあ”っていう感じで観てしまったんですけども、素晴らしい演技でした。
オープニング作品にもっともふさわしい(白鳥)
阿部:さあ、それでは白鳥さんに伺いたいと思います。しんゆり映画祭、第8回目なんですね、今回は。『共生』というテーマを、今年大きく掲げているんですけれども、様々な作品、ラインナップ、これからたくさんの映画が上映される中で、オープニング作品に、この映画、数ある日本映画の中から、この「折り梅」を選ばれたいきさつについて教えて頂けますか。

白鳥:あの、それはもう、私自身がこの映画を愛しています(笑)。それと、やっぱり『共生』、いろんな意味の共生ありますけれども、大きな意味では、国と国が戦争してる、同じ国の中でも違う民族同士が戦争してる。 “何故、一緒に、仲良く生きていけないんだろうか”って、そういう疑問もあります。それから、もっと小さな「家庭」っていう、そういう単位の中で“何故、夫と妻が仲良くやっていけないだろうか。兄弟が仲良くやっていけないだろうか。そして、今、一番社会問題になっている「嫁と姑、あるいは舅」、そういう人間関係が、どうして『共生』していけないんだろうか”っていうことを、とっても、何かもう、解りやすくっていうんでしょうか、“共感が持てる形で、この映画は作られている”って、松井さんと私自身確信を持っていますので、是非、この『共生』というテーマで、今年のしんゆり映画祭を始めるにあたって、オープニング作品に最もふさわしい、という風に考えました。

阿部:そうですか。
このしんゆり映画祭は、たくさんのボランティアスタッフの方々が作っている日本でも非常に珍しい映画祭かと思うんですけれども、ボランティアの皆さんが、自ら作品を選んで、そして上映をする、というシステムをとってらっしゃるということで、この「折り梅」という作品、ボランティアスタッフの皆さん、御覧になって、白鳥さん、どんな反応ありましたでしょうか。

白鳥:私はメールがありませんから、スタッフの一人から、『折り梅』は銀座のシネスイッチ銀座という映画館でやったんですけど、「『折り梅』を劇場で観てきました。もう涙が止まりませんでした。是非、これ、しんゆり映画祭でやりましょう」、そういう、ファックスが入ってきました。私はもう、本当に、その時は涙が出る程嬉しかったです。

阿部:嬉しいですよね。私も、周りのお友達も、結構もう色々な所で、川崎市内でも、上映たくさんされていて、介護の現場に携わる人達も、皆さん、よく観てらっしゃるんですよね。非常に評判が良くて、普通、現場での方の意見と実際作られた映画と、“実際は、ちょっと違うよね”って意見があったりする作品もあるかと思うんですけれども、この作品に限っては、現場で、本当に介護の現場でやってらっしゃるスタッフの方々も、私の周りの人達だけですけれども、“本当におもしろくて、非常に良くできて、素晴らしい作品だ”っていう風に、皆さん口を揃えていました。皆さん多分、そういう風に思ってらっしゃると思うんですよね。
介護の問題に対する市民の意識が変わってきた。(松井)
阿部:実際の介護に携わる方達からの反応も非常にいいんですか?監督、いかがでしょうか。

松井:あの、本当にわたしは、“これは時代なんだな”という風にも思うんですね。どこの上映会でも、たくさんのお客様にいらして頂いてて、劇場のロードショーはもうほとんど大体済んだんですけど、10万人に達しました。また、現時点での自主上映会の観客動員も10万人を超えたんですね。ですから、合計もう20万人を超える方達に観て頂いているんですが、やっぱりお客様のいらっしゃる熱気をこう見ると“ああ、時代が凄く変わったな”って。あの、介護の問題というのを、ついこの間までは、“避けていたい”と思っていらしたことが、やっぱり、御自分で“きちんと向き合うべきなんだな”という風にお考えになったり、また、痴呆という病気に対する、その、“ただ忌み嫌っているだけでは駄目なんだ”っていうことをね、皆さんが思われ始めた。そういう風に、介護保険以降、市民の中で全然変わってきたな、というのが一つあります。

それと、私はやっぱり、こういう映画は、もう、“「映画の嘘」っていうのを、ついてはいけない映画”って、思うんですね。ですから、より皆さんに観やすく、人間ドラマとして、エンターテイメントとして観て頂くことは、私って一番なんですけれども、それでも一つ一つのディティールが“やっぱり嘘はつきたくない”という、そういう意味で、今回「折り梅」を観て下さった、特にプロの方達が「あの通りだ」っていうことを言って下さればとっても嬉しいですね。

阿部:そうですね。とかく、ハードなテーマなので、なかなか、ちょっとベタ   ついた感じになってしまいがちかとも思うんですけれども、そういった   所が本当になくて、非常に爽やかな素晴らしい作品だったと思います。
“もう復帰できないか”と心配しました。(松井)
阿部:さて、吉行さんにお話、伺いたいと思います。
今回は、大変難しい役だったと思うんですけれども、この“政子さん”という役なんですが、どんな風にして“役作り”、されたんですか?

吉行:まず、一番に考えたのは、“わざとらしくなったら絶対いけない”。実際に痴呆の方とか、それを介護してらっしゃる方達にとって、これは大変な問題なんだから、「これ映画ですよ」って言って、芝居っていうようなことをしたら、失礼だと思ったんです。ですから、 “本当に政子さんに、なりきりたい”と思ったわけですね。でも“なりきる”っつったって、別の人間ですからなれる筈はないんですけど、ともかく、“そういう方達の、心を掴みたい”って思ったんです。それで、何ケ所か、いろんな施設に監督とご一緒に伺いました。そして、表から見るのではなくて、一緒に遊んで、一緒に話して、何か自分のそういう内に持ったような、気持ちを、なるたけ持って、それで、撮影に入ったんです。ですから、「ちょっとでもわざとらしかったら注意して下さいね」って監督に、お願いして、“「あれが政子さんだ」って、思えるようにやれたらいいな”って思ってやったんです。

阿部:そうですか。

松井:もう、すっかり。(笑)なってらっしゃいました。
(一同笑い)

松井:あの、私、「スタート」「カット」の間だけで、「カット」が終わって食事の時とかね、待ってらっしゃる時とかでも、やっぱり俳優さんは、すぐ戻られると思うんですけれども、撮影後、ホテルにお戻りになって以降は、全然知らないですけども、とにかくその、一日撮影してる間はずうっと政子さんでしたね。ですから「吉行さん、吉行さん」って言うと、あの何か“もう始まっちゃってるのかな”って、そのくらい(一同笑い)。ええ、何度もありましたね。“もう復帰できないか”と。
(一同笑い)

松井:そんなことね、失礼ですよね。

吉行:現場に行って、“この台詞はどう言おうかしら”とか“ここはこういう風に動こうかしら”なんて、思うのじゃあ嫌なんですね。“ひとりでにできちゃう”っていうのに、なりたかったもんですから。まあ、ちょっとその気もあるのかもしれませんけども(笑)。そういう“政子さん状態”で撮影中ずっといられたってことは、とても、私にとっては、居心地が良かったんです。

阿部:はあー、そうですか(笑)。
原田さんとのやりとりも、非常に素晴らしかったと思うんですけれども、原田さんとの共演は、初めてですか?

吉行:ええ、初めてだったんです。

阿部:ああ、そうですか。

吉行:会ったこともなくて、どっか映画祭かなんかでちょっとすれ違ったぐら いで挨拶もしたことがなくて、“ああ、原田美枝子か”って思って見たぐらいだったんですけど。(一同笑い)で、この「折り梅」で初めて御会いして、本当に暗黙の内に、何か、“しっかり手を組んだ”っていう、感じがしました。原田さんもそう言ってらしたから、きっとお互いに、そういう、テレパシーが通じ合ったのではないかと思うんです。で、「ああしましょう、こうしましょう」とかいう演技の話は一切しなかったんですけれど、本当に現場に行くと、“ちゃんとお互いに、目を見合って、キャッチボールができた”って感じがしました。

部:監督、本当に原田さんと息もピッタリでしたよね。

松井:そうなんですね、私、とにかく、“この映画は、湿度が高く、センチメンタルなのは、ちょっといやだな、じめっとした映画にしたくない”っていう想いがあって。原田さんと吉行さんは、何とも言えない、 “透明な爽やかさ”、それでいて2人の、“真に持っていらっしゃる強さ”と、それからこの “美しさ”が表せたと思います。映画の主人公だから、痴呆老人の人、お婆ちゃんは「美人じゃいけない」っていうことはないですよねえ。

阿部:(笑)そうですね。

松井:だから、私は、この2人の主人公が本当に綺麗な人で、それで、皆さお解りの通り、乾いた、じめっとしない強さのあるお2人という、本当に、“こんな夢のようなことが実現していいのかしら”っていう感じでしたけれども、楽しかったですね。本当に。

吉行:本当に素敵な現場でした。なかなかああいうのってないんですよ。

阿部:そうですか。

吉行:だからやっぱりこの作品が、良かったし、皆でそれに感動して、松井監督の“撮りたい”っていう熱意に、なんとなく皆巻き込まれた、いい結果だと思いましたね。

阿部:そうですね。
「折り梅」、もう「それよー!」っていう感じでね。(松井)
阿部:今、美しいお2人のお話が出たんですけども、この映画の中の、もう一つの非常に美しいモチーフとして「折り梅」という素晴らしいタイトルがありますよね。この「折り梅」という言葉なんですが、元々はお花の世界の言葉だ、という風にお聞きしましたけれども、このタイトルとの出会い、そしてこの「折り梅」というモチーフとの出会いについて、松井さん、また素晴らしい出会いがあったということなんですが。

松井:そうですね。「忘れても、しあわせ」っていうタイトルも素敵なんですけども、それは、映画の中味を全部ばらしちゃうようなタイトルだと、いう風な気がずっとしていて、“できたら変えたいな”っと。で、映像的な、何かこの映画のテーマの象徴となるような、そういう何かタイトルを見付けたいという風に思って、あれこれあれこれ考えて、いろいろ調べものをしたりとかしていた中で、なかなか、そういうものが思いつかなかったんですね。

で、私の友人の、武蔵野美術大学の教授の森山明子さんという女性に相談をして、まあ彼女もすぐパッと出てきた訳ではないんですけども、非常に、いろいろこう考えて下さった中で、森山さんが大変私淑していらっしゃる、中川幸夫先生という、今85歳になられる、前衛のいけ花作家の先生が「そういえば、『折り梅』って言ってたわ」。「何、その『折り梅』」って言ったら、「中川先生がこうこうこうこう、こういう風に話してたわ」。もうその時はもう「それよー!」っていう感じでね。それでもう私は、その「折り梅」のエピソード、映画にも出てきた通りの話を聞いた時に、あ、“もう幹ががらんどうになっても、毎年美しい花を咲かせる”。それはもう全く、小菅マサ子さんという、“アルツハイマーで、脳が、退化していっても、これだけ絵を描くことができるマサ子さん”と、こうぴったり重なりました。そして、その中川先生の所にお願いに行って、「『折り梅』、タイトルに使わせて下さい」って言って。で、「是非、題字も書いて下さい」っていう風にお願いに上がったら、「できましたよ」っていう風に頂いたのが、最初にボーンと出て来た「梅」という一字だったんですね。で、「あの、『折り梅』って書いて頂きたかったんですけど」「『折り梅』ですよ、これは」。全部、先っちょが、こう、折れている。ええ。

阿部:ええ、なるほど。

松井:もう、やっぱり凄い、芸術家は凄いな。で、“これでは多分「折り梅」って読めないだろう”ということで、真ん中に赤い字で「折り梅」という風に入れさして頂いた。そしたら、中川先生から、最近、お電話があって、「『折り梅』の題字を書いて、いいことがあったよ」って。「何ですか」っていう風に聞いたら、そしたら「仕事が一つ来た」って。「たそがれ清兵衛」の、今のタイトルの字。あれは、どなたか、山田監督かプロデューサーの方か、ちょっと聞きそびれましたが、山田監督が元々、チラシとかで使用してらした、「たそがれ清兵衛」っていう字がどうしても気に入らなくて、「何か、もうちょっと違う字が欲しい」っていう風におっしゃってて。で、「折り梅」の題字を見て頂いたらしくて、「この人に書いてもらいたい」っていうことで、中川先生が、今の「たそがれ清兵衛」の字を書かれたんです。

阿部:
ああ、そうだったんですか。

松井:
ああ、「折り梅」いいことしたじゃないっていう感じで。
(一同笑い)

阿部:クランクインまで、資金集めですとか、様々な苦労があったそうなんですけど、映画のタイトルが「折り梅」という風に決定してから、随分と急にスムーズな展開になったとか。

松井:そうですね、パラパラパラパラと、解けたように。今日も、私の知り合いが「私のね、お友達のねお母さんが『折り梅』状態なのよ」っていう風におっしゃってね、もう何か、「痴呆なのよ」とか、「ボケと言われちゃったのよ」「あの人ボケちゃった」って言うよりも、「『折り梅』、なっちゃった」って言う方が。

阿部:綺麗で、いいですねえ。

松井:何か、綺麗で、ねえ。

阿部:そうですね、本当に。これからじゃあ、そういう状態になったら、「折り梅」っていう風に。

白鳥:私はもう既に映画祭のスタッフから、「『折り梅』状態」って言われてるんです。
(一同笑い)

阿部:早くも、そう呼ばれて、しまわれたんですか。そうですか。
ドキュメンタリータッチに近い映画にしたい
阿部:白鳥さんは、松井監督と今回“共同脚本”という形で関わっていらっしゃるということなんですけれども。

白鳥:はい。

阿部:脚本作りの中で、一番葛藤した点ていうのは、どういったことだったんですか?

白鳥:それは、私はやっぱりあの日活撮影所で長いこと映画を作って来た人間なので、脚本書く時にどうしても“ドラマチックにしたい”っていう癖があるんですね。松井さんの方は、あそこの、犬山のグループホーム、皆さん御覧になったと思いますけど、ほとんど“ドキュメンタリータッチ”。で、そのまんまを撮ってる。で、「“ドキュメンタリータッチ”に近い、映画にしたい」っていう主張がありました。最初の葛藤は、そこのところでしたね。やっぱりその、最初に2人が思ってることが、ちょっと食い違ったと。その点については、割と、早く、理解することができました。

後は、やっぱり、実際にいろいろな施設を、シナリオハンティングっていうんですけども、松井さんと一緒に、行って、その時に、“やっぱり本当に、この介護の問題っていうのは、全く想像を絶する、頭の中で考えていたのとはまるで違う、それを超えたものだ”っていうことを悟りまして、で、この介護の問題については、映画の世界では私が先輩でも、「ユキエ」の経験から松井さんの方が遥かに先輩ですからね。まあ、そういう、介護の世界で、これだけ突き詰めて、いろいろものを考えてきた人なので、割と最初の葛藤の後は、スムーズに、共同作業することができました。

阿部:そうですか。あの、今お話ありましたけれども、「あんきの家」ていうシーンがありましたけど、あれ実際に、本当に皆さんが、あの実際の皆さんが、出演して下さってるんですよね。

松井:そうですね、やっぱり、今回素晴らしいベテランのスタッフの方達が“そんなの、ちょっと、失敗するよ”って、かなり心配されたんですけれども、私は、あの、“痴呆”という病気が、隠す病気ではないのに、まだまだ日本の中では、ドキュメンタリーで撮られても御家族が、「顔にモザイクをかけてください」と言う。そういう何か、“隠したい”という“隠す病気である”みたいになってるのを早く終わりにしたいっていう意味で、実際の方達に、そのありのままの姿で、劇映画に出て頂けたらなっていうのが一つありましたね。

それから、ああいうものは、もう、例えばエキストラの方、お爺ちゃんお婆ちゃんに座って頂いても、ちっとも意味のないことで、それだったらない方がいいシーンだと思うんですね。で、私達は、あのシーンを撮る時に、映画の全部の流れが壊れないように、ちゃんとした大きなカメラも、入れなくちゃならない。それから、ライトもある程度あてなくちゃならない。もうそんなことしたら、私は、ありのまんまのこのお年寄りのお姿、私がお訪ねする度に穏やかに、家族のように、お茶を飲みながら歌を歌いながら暮らしてらっしゃる、そのままを撮りたいんだけれども、カメラが入ったり、原田さんやトミーズ雅さんが役のまんまいらしたら、このお婆ちゃんやお爺ちゃんが、パニック状態に陥ったらどうしようって、やっぱり凄く心配したんですね。

心配しながら、始まったんですけれども、もう全然。それも、私達の、痴呆の方に対する強い先入観。もう、皆さんあのお年寄り達は、自分達が、映画か何かで、写されてるっていうことは百も承知なんですね。百も承知で、もう堂々と、“もう前からでも後ろからでも好きに撮りなさい”と、ドーンと、“自分達はあるがまんまいつものようにするから”っていう感じなんですね。一番あそこで、声が震えていたのが、施設長さんなんですね(笑)。普段私達が伺うと、ほんとうに朗々と、ハキハキと、説明して下さる方が、やっぱり、「いつものように説明して下さい」って言ったら、もう声が震えちゃってるんですね。

つまり、私達も、誰でも、カメラの前で、いきなり、映画のカメラの前で、しゃべって下さいったら震えちゃいますよね。つまり、私達の方が、何か、いろんなこう、雑念ていうか、“人に笑われないようにしゃべりたい”とか“上手いと思われたい”とか、そういうものを持ってるから、緊張しちゃう訳ですよね。でも痴呆のお年寄りは、もう、あのように、 “あなた達、あるがまんまでいいんだよ”っていう風に、自分が許された場では、もう恥じることも、ストレスを溜めることも、パニックに陥ることもなく、“どうぞ。どこからでも撮りなさい”っていう、そう解っていて、ていう感じよね。
改めて、私達は本当に、“先入観を持ち過ぎていたな”って、その撮影の時にも思ったんですけどね。

阿部:そうですか。なかなか感動的お話でした。
日頃の憂さを、あそこに込めまして、思いきりやりました。(吉行)
阿部:さて、吉行さんに伺いたいと思います。
今回の作品の中で、数ある素敵なシーン、たくさんあったかと思うんですけれども、吉行さん一番のお気に入りのシーン、というのは、印象に残っているこのシーンは、とか、この台詞は、っていうのって、ありますか?

吉行:うーん、そうですね。本当に所々凄くあの、印象に残ってるんですけれど、やっぱり、映画で見ると、一番最後に原田さんと、「どこから来たんですか?」って言われて、昔の難しい住所を、「今も言え」っつっても言えませんけれど、あの「なんとか字なんとか」とかいうところまで、ちゃんと言って、自分の旧姓を言って、で、原田さんがそれを、その状態を解って優しく、話を合わせてくれて、2人で、世間話をしながらお茶を飲むところ。

あそこを見ると、自分でやったのにもかかわらず、“なんて素敵な結末なんだろう”と思って、本当にじーんとしてしまって。一観客として客観的に観て、あそこがとっても好きなんですね。やってる時はね、原田さんと喧嘩して、普段、日常生活じゃあできませんからね。いくらしゃくにさわったって髪の毛引っ張って、(一同笑い)蹴飛ばしたりするようなことはできませんから、日頃の憂さを、あそこに込めまして、思いきりやらせて頂いて、植木鉢を投げ付けたり、“こういうことはもう政子さんの役をやらなかったら、一生私は実生活の中でできなかったんだから、思いきりやってやろう”とか思いましてやりました。

阿部:(笑)そうですか。今日この場に原田さんがいらっしゃったら、原田さんの感想も、是非伺いたかったところですよね。

白鳥:本当に掴んでるものねえ。

阿部:ええ。

吉行:そうなんですよ。あれはね、でも原田さんがとても上手で、「私はアクション女優よ」なんいってましたけど。相手が上手くないと、殺陣、チャンバラなんかでもそうなんですけれども、斬る方よりも斬られる方が。難しいってね言うんですけど。

松井:受け身の方がね。

吉行:原田さんは凄く上手で、“あたしってこんなに上手だったかしら”と思うぐらいに、ギャッと掴んで、細い廊下を引きずってくんですけど、自分では思わぬ程、上手に行っちゃう訳です。でも、あれは原田さんの受けがとても上手だったので、そこら辺も、息が合ってると言えば、合ってるんですけど。自画自賛ですけれども。

松井:それで凄いのは、いろいろばらしますと、お家の中っていうのは日活撮影所のセットで、スタジオで撮ったんですね。ですから、まとめてずうっと先に撮ったんです。で、髪の毛引っ張って玄関を飛び出してくるっていうのは豊明市で撮った訳ですね。ですからその間に、1ヶ月ぐらいの、インターバルがあるんですよね。

阿部:ええー、そんなに。

松井:で、本当に“このお2人凄いな”っていう風に思ったのは、見事にね、その1ヶ月のブランクなんて、ねえ。

阿部:1ヶ月も間が空いてたなんて、全然わからないですね。

松井:ええ、ですから。

吉行:“よしやるぞー”みたいな感じで。息を合わせて。
(一同笑い)

松井:でも、外の時にはお2人ともねいろいろ打ち身や怪我がありましたね。

吉行:そうですよ。ちゃんと、やったもんですから。
(一同笑い)

吉行:道のとこはね、コンクリートになってますし。そこら辺を、かばったりしてたら、やっぱり嘘っぽくなるので、思いっきり転んだりしましたから、結構アザはできました。

阿部:一つの山場になってましたよね、映画の中では。
私は自分の娘だなんて思わない。“いい女優だなあ”って思って観たわ
阿部:プライベートなこと、ちょっとお話伺いたいと思うんですけれども、吉行さんは、御高齢ながらも非常にお元気な、あぐりさんというお母様とよく海外旅行にお出かけになるという、テレビ番組なんかにも最近出演されていらっしゃいますけど。プライベートでは実際には娘さん、ということですよね。将来的に、もしかしたら介護をする立場になるかもしれない、ということも、あり得ますよね。そんなことを、撮影中なんかちらっと考えたりもされたんですか?

吉行:そうですね、私、この映画に出ることによって、本当に良かったのは、やっぱり、いくら元気だといっても、今年95になりますから、“いつかは、何か起こるだろう。まあ、私自身もいつか何か起こるだろう”みたいな、情とかなんとか介護とかいうことが、とても重苦しく、 “そういうことになったらどうしよう”っていうのは、とても暗い、気持ちになることだったんですね。

それがまあ、この映画で、いろいろ学んで、“なにかあっても、やってこう”っていう決心がついたんです。本当に幸いなことに、母が95なのに元気で。で、元気な親ってのもなかなか大変で、(一同笑い)そんなこと言うと、もう、バチが当たるのはわかるんですけど、凄く好奇心も旺盛なので、いろいろやりたいことがあるんですね。でも、いくら好奇心があっても、やはり一人ではできない。そうすると、そばにいる私が、それに手助けをしなきゃいけない訳なんです。私も、まあ、「折り梅」などをやったために、ちょっと親孝行の芽が目覚めまして、“この人を、ともかく元気な時に、楽しませてあげるのが私の役目だ”と思いまして、いろいろやってるんです。

それともう一つ、“とても親孝行ができたな”って思ったのは、この映画がとても好きで、何度も観て、その度に、笑ったり涙を流したりしてるらしいので、これは、“親が観て喜んでくれる映画に出られて良かったな”って思います。それから親が役に立ったのは、このところ親孝行してるために、親と行動することが多いんですね。そうすると、皆さんが「政子さん」で、一番最初におっしゃるのは「歩き方が上手だった」って。「ああいう歩き方するんですよ」なんておっしゃるんですよ。でもあれは、家の親から私が学んだんです。そう言うと、親は「私はもっとちゃんと歩いる」(一同笑い)「あんな下手じゃない」つってとっても怒るんですけれど、実は、そのテンポ、歩き方、この足の開き方とか、この動きのゆっくりさは親と一緒に歩いていて学んだテンポなんです。それを「政子さん」でしっかり活用させてもらったので、“私の親孝行がとても役に立ったな”って、思ったんですけど、そんな感じで、元気な母が、この「折り梅」にも、随分、介入してきて、“良かったなあ”と思ってます。

阿部:そうですか。

松井:それで私がね、最初の試写に、あぐりさんがいらして、観て下さった時に、「あのう、あぐりさん。自分のお嬢さんが、こういうお婆さんの役をやるのって、母親として、どんなお気持ちですか」っていう風に伺ったのね。そしたら、さすが95までお元気な方で、「ううん。私は自分の娘だなんて思わない。“いい女優だなあ”って思って観たわ」っておっしゃったの。

阿部:そうですか。
(会場拍手)

松井:もう“素晴らしいなあ”と思いまして、感動しました。

阿部:そうですか。今日は、本当にいいお話ね、伺わせて頂きました。
観る度に泣くとこがある。(川上)
阿部:さて、会場にはですね、この素晴らしい作品「折り梅」の、撮影をやってらした、川上晧一さんが、お越しになっていらっしゃるということなんですけれども、どちらの方にいらっしゃってますでしょうか、ちょっと立ち上がって頂けると、ありがたいんですが。川上さん、あっ、こちらですね。どうぞ拍手で。素晴らしい映像でした。
(会場拍手)

松井:ちょっと前に、是非。

阿部:是非、前の方に。

阿部:そうですね、是非、一言お願いしたいんですけれども。本当に素晴らしい映像でしたよね。

松井:はいもう、演技もスタッフも、こういうベテランの方達にやっていただいて。
(川上登壇 会場拍手)

川上:撮影の川上です。こういうつもりじゃなかったんで、ちょっとびっくりして。

松井:その割にはマイクを持ってる。
(一同笑い)

川上:あそこで渡されたんで。

阿部:どうでしたでしょうか、この撮影、今、この会場で御覧になったということだったんですけれども、改めて感想を。

川上:久し振りに観て、やっぱり、僕もあの、観る度に泣くとこがありまして、“いい映画だなあ”と思って観てます。

阿部:一番、観る度に泣かれる所とはどこですか?

川上:あのう、最初、髪の毛掴む前に、吉行さんが「そんなに私がおかしいか」って叫ぶ所があるんですね。あそこでいつも僕は泣くんですね。あとハンカチの所ですね。

阿部:あの、こう、投げ合って。

川上:皆さん、感じると思いますけど。

阿部:そうですか。結構あの、泣くポイントってね、私も何回か観てるんで、あの、もうここにくると必ず泣いてしまうっていうの、ありますよね。おっぱいをさわるシーンてありますよね、吉行さんが原田さんの。それで「おかあやん」っていう風に、ぽろっと言う所がね、もう何回観ても泣けてしまうんですけれども、あそこらへんは、演出されていて、松井さんは、もう“お2人におまかせ”っていう感じ、だったんですか?

松井:もう全部ですね、なんて(笑)。ええ、実際にあのシーンは原作にはなかったんですけど、実際に介護をされている方から伺ったエピソードから取りました。そういう意味ではハンカチのシーンもおっぱいさわるシーンも、頭で考えたことじゃない強さが多分あると思いますね。俳優さんがなさる時も、すっと、御理解下さるんじゃないかなという。
川上さんに聞いて下さい。

阿部:あ、はい川上さん。

川上:僕もういいですか。
(一同笑い)

阿部:ありがとうございました、川上さん。大きな拍手で、皆さんお迎え下しさい。
(会場拍手 川上降壇)

ここから客席との質疑応答になります。
脚本家に将来なりたい人は何を心がけたら良いですか?
阿部:さあそれでは、会場の皆さんに、マイクをまわしたいと思います。この機会に、お三方に是非聞いてみたいということがありましたら、どなたか、手を挙げて、質問をお受けしたいと思います。いらっしゃいますか?

松井:うん、あの、男性がいいんですけど、私。

阿部:あ、男性で。

松井:ええ。あの、「折り梅」では数少ない、あの、あそこにメガネかけていらっしゃる。

阿部:男性の方、そうですね、少ないですね今日は。是非、何か、御感想でも結構ですので。今、マイクをお渡ししますので。お願い致します。
今日はどちらから、いらっしゃったんですか?

男性:あの、五月台に住んでおりますけれども。

阿部:はい、じゃあ、新百合ヶ丘のお隣の駅、ということですね。

男性:はい。それで今日は、白鳥さんにちょっと紹介して頂いて、この映画観させていただいたんですけども、あのとにかく、観た感想としまして、本当に“感謝したいな”っていう、そういう印象を持ちました。ゲストのおっしゃって下さった通りで、大変重い内容ですけれども、爽やかな感じで受け止めることができました。

作品としては商業ベースの作品じゃないような感じがするんですね。
やっぱり女性の感性ってのもあるのかもしれませんけれど、なんていうんでしょうか、私達一人一人が、家族っていうのは皆が持っている訳で、必ずこれを観ると、“私と、自分の親とはどうかな”とかですね、必ず皆感じると思うんですよね。その中で、この映画のように、もしなったら本当に凄いなって思うんですけどもね、実は“ここまではいかないだろう”と思うんですけれども、ですけども、それぞれが直面している家族の現場の中で、何かそういう“希望を与える”っていうんですか、“光を与える”とか。そういうような映画を作って下さった方々に、本当に感謝して、観させて頂きました。ありがとうございました。
あの、質問いいですか?ひとつ。

阿部:はい、是非、たくさんどうぞ。

男性:私の息子の友達が、「俺は脚本家になりたいんだ」って言ってる子がいるんですが “脚本家に将来なりたいっていう高校生”なんですけども、そういう子ども達は、どういうことを心掛けたらよろしいでしょうか。

阿部:今、お幾つのお子さんでしょうか。

男性:高校2年です。

阿部:高校2年生。えーと、これはそうしますと、どなたに、白鳥さんに伺った方がいいですかね。

男性:そうですね。

白鳥:やっぱり、映画をたくさん観ることですね。あの、脚本て “こう書かなきゃいけない”とか、そういう決まりっていうのがないですからね。やっぱりたくさん映画を観る。それはあの、ただ観て右から左に抜けちゃうんじゃなくて、やっぱり、何本も何本も書いてみる。1本の脚本書き上げるっていうのは大変なエネルギーですから、どんなに下手くそでもいいから、最後まで、書き通す。で、それは、私が若い頃にやはり先輩から教えて頂いた言葉ですね。

ちなみに、今しんゆり映画祭で、ジュニア映画製作ワークショップ、御存じかと思いますが、中学生の映画作りをやっておりまして、この前9月の29日にその上映会を致しました。川崎市の中学生を募集して、大体10人程度のグループに分けて、ボランティアと、それから映画学校の専門科の先生と、一緒に映画を作るんですけど、脚本も、全部自分達で、書くんですね。で、持ち寄って、どの話がいいかなあということから始まる。非常に、なんていうか、決して上手ではないけれども、自分達の身の回りに起こった切実な問題、“いじめの問題”“仲間はずれにされる問題”それから“お金が欲しい問題”、そういうようなことを、ちゃんと脚本にするんですね。ですから、高校生の方も悩んでないで、どんどん始められたらいいと思います。
この映画を作る時のこぼれ話を教えてください。
阿部:真ん中の、赤いTシャツを着てらっしゃる、今マイクをお持ちしますので、お待ち頂けますでしょうか。この機会に、是非。もう滅多に、皆さん、御自身で質問される機会はないと思いますのでね、是非お願い致します。
今日は、どちらからいらっしゃいましたか?

女性:私も五月台から参ったんですけれども。まず、シネアミューズでポスターがかかってまして、その時に“あ、これ観たい”と思いながらもなかなか都内に、出ていくチャンスを、ちょっと逸してしまってたので、今日、本当に楽しみにして参りました。私は今30代半ばなので、いずれ半世紀もすればこういう状態になるだろうと思いつつも、いずれ行く道で、そして今、祖母が徐々に霞がかかりつつある状態なので、母が抱えている問題として観つつも、「私らの世代、皆親を4人看なきゃいけないね」っていう風に話してるもんですから、その同世代の友達とかにもちょっとすすめたいなって思いながら拝見しました。そういう “介護”という問題、それから“親子”という問題、テーマとしてもとても心にしみました。

また、原田さんとそれから吉行さんていうキャストの方達が、とても素晴らしかったのと同時に、その他の方達もやっぱり私は、感激しながら観てたんですね。特にあの、私りりィさん好きなので。そういう、他の方達をキャスティングされた、何かエピソードですとか、それからロケハンの時の、何かエピソードですとか、この映画を作る時のこぼれ話を伺えたら、とっても映画好きとしては嬉しいんですけれども。よろしくお願いします。

阿部:では、松井監督、どうですか?

松井:あの、キャスティングって、凄くこう、何人もの方を、“この方どうしようこの方どうしよう”って、“どっちにしようか”って悩むんじゃないんです。あの、他の監督さんは知りませんよ。私はあんまり悩まないんですね。ピン、とひらめいた、直感なんですね。割と、どちらかというと、こう“お芝居で作る”っていうことを、あの、俳優さんに対して失礼だけど、あんまり信じてない所があって、その方の存在感が素敵な人、その方自身が、実人生で素敵に生きていらっしゃる方は、それで充分。シナリオの台詞とか、それから行動で、この役の中味は、もうある訳ですから、後はもうその方自身の存在感、魅力っていうののある方っていう風に思っていたら、あの、原田さんと吉行さんの役は、もちろん本当に素晴らしい演技ができる方じゃないと駄目だっていう風に思ってましたけど、“そのお2人がいれば、後は周りは全部、存在感で”っていう風に思った時に、“はっ”て気が付いたら、自分の時代の歌手の方ばっかりで(笑)加藤さん、金井克子さん、りりィさん、ていうね。

阿部:金井克子さんも出てらっしゃったんですよね。あの、お向かいの奥様の役で。

松井:そうです、お向かいの奥様ね。蛭子さんもそうですし、トミーズ雅さんを「違和感がある」っていう風に、おっしゃる方もいるんですけども、私は、やっぱり彼の存在感、あの役を、原田さんと吉行さんの真ん中で、カチッとお芝居をされる男優さんがやったら、やっぱり皆さんからはちょっと遠い、何か嘘っぽくなるかなっていう。雅さんは、ほんっとにプレッシャーを感じながら、さぞかし大阪弁でやりたかったでしょうが、その、なんか、それでも辛い辛いと思われながら、頑張ってやって下さったけれども、なんかやっぱり、あの人にしか出せない“あったかさ”があったんじゃないかなという風に思うんですね。

とにかくこの映画っていうのは私の自慢は、吉行さん達は最初凄く戸惑われたと思うんですけれども、どの土地に行っても、地元の市民の方達に、エキストラ、それから炊き出し、車を止める、様々なお手伝いを、ちゃんとスタッフの一員になってして頂いたっていうことです。この映画が何か “暖かい”って思って頂けるようでしたら、それは、その『人々の想い』、一緒に参加した、普段は観客側である方達の想いだと思うんです。その方達が、現場に立ち会うごとに、日に日に、「映画作りって、これだけの緊張感の中でやってるの。これだけの人間がかけて、これだけ真剣に動いてるの」っていうのを、どんどんどんどん御自身達の喜びとして、獲得されていく、だんだんだんだん、プロの方達と市民の方達の心が一つになっていく、みたいな経験をしたんです。吉行さん、その、市民の方の、今回のボランティアについて、何か。

吉行:ええ、まずびっくりしたのは、撮影現場の愛知県の豊明って所へ行きましたら、道に、のぼりが立ってまして、歌舞伎なんかではあるでしょうけど、私達も初めてだったんですけど、白い地にピンクで「折り梅」って書いたのぼりがダァーっと立ってるんですね。それで、 “これは凄い”とか思ったんですけど、伺ったら、皆さん自分の家のシーツを持ってきて、それを破いて、周りをミシンで縫って、それからペンキ屋さんに交渉して、ピンクの「折り梅」っていう字を書くためのペンキをもらって、お書きなったらしい、そののぼりが立ってる。

こう何か、“凄い所へ来てしまったなあ”と思って。で、大体ロケーションで、見物の方達がいらっしゃると、ちょっとやりづらいってことは、 確かにあるんです。でも、最初は“どういうことになっちゃうかしら”って思ったんですけど、皆さんが“この映画を応援するんだ”っていう気持ちがあって、やじ馬的じゃないんですね。それが、すぐ解りまして。 私達も、そういうことに気を奪われないで、集中してできたし、むしろ“ああ、応援してもらってるんだなあ”と思って、緊張感があって、良かったですね。

松井:あの、冒頭で、ちょっとお顔とかは見えなかったんですけれども、原田さんと吉行さんが歩いていらっしゃる、で、すれ違って「おはようございます」って。あの方達も、豊明市民の方なんですけれども、エキストラはオーディションをやったんですね。

阿部:そうですか。

松井:ええ。で、オーディションをやったら、オーディションを来て下さった中に、お二人がいて、車椅子に乗ってらっしゃる方は98歳のお姑さんで、75歳のお嫁さんが押してらっしゃるんです。それで、とにかく、お姑さんとお嫁さんが98と75で、映画のオーディションを、受けに来て下るってことに私感動しちゃって。

阿部:そうですね。

松井:ええ。それであのシーンは、シナリオになかったんだけれども(笑)のシーンを作りました。

阿部:ああ、そうですか。本当に、市民の方々の手作りっていうところがね、大きな暖かみの、一つの要素になっているのかもしれませんね。正に、このしんゆり映画祭の、手作りの映画祭のオープニング上映にぴったり、といった感じがしますけれども。皆さんは、この「折り梅」、御覧になって、どんな風にお感じになったこと、たくさんあるかと思いますけれ ども、そろそろね、お別れの時間が近付いて参りました。
「折り梅」の後
阿部:最後に、それでは松井監督、これからこの映画、いろんな所でかかるかと思うんですけれども、この「折り梅」の後、“こういう作品を撮ってみたい”っていうのってございますか?

松井:とんでもないです(笑)本当に「ユキエ」から「折り梅」まで4年かかりましたし、それも、もう自然にやってきた訳ですから、私はもう、今「折り梅」を、日本中一人でも多くの方に観て頂きたいという想いで、日本中を歩くことに没頭してますから。またそういう時が来るのかもしれないし、来ないかもしれない。でも、「ユキエ」を作った直後は“もう2度と映画作りは嫌”って思ったんですが、「折り梅」の直後は“できることならまたやりたいな”っていう風には思ってしまいましたね。
(会場拍手)

阿部:ねえ、皆さんからも、拍手が来ました。

松井:ありがとうございます。

阿部:これから、「痴呆」とか「アルツハイマー」っていう言葉、「折り梅」っていう言葉に転換されて、皆さんの中に残っていくといいですよね。吉行さんは、これから、どんな役、チャレンジされたいと思っていますか?

吉行:そうですね、まあ“「折り梅」女優”として(一同笑い)。女優のいい所はいくつになってもいろいろ役があるので、これからも楽しくやっていきたいと思ってます。

阿部:はい、ありがとうございます。
ありがとうございました。
(会場拍手)
最後に白鳥さん、実行委員長ということで、今日のオープニング、無事終了ということなんですが、最後に御挨拶お願い致します。

白鳥:私はね、何よりも、徹夜で、この梅の木を作ってくれた、しんゆり映画祭のスタッフに、感謝したいと思います。
(会場拍手)

阿部:本当に皆さんお疲れ様でした。そしてね、今日は会場にはいらっしゃってませんけれども、この「折り梅」を支えて下さった、日本中の方々に、是非皆さん、拍手をもって、多分聞こえないとは思いますけれども、この映画、是非ですね、皆さん口コミで広げて、もっともっと、上映たくさんできるようにして頂けたら、と思います。
今日はお忙しい中、本当にありがとうございました。
(会場拍手)