座談会 蔡明亮監督を迎えて「蔡明亮映画の魅力」 98年10月11日(日)13:40〜

ゲスト:蔡明亮(監督)李康生(俳優)、チェン・シアンチー(女優)
司 会:鈴木直志(市民スタッフ) 通訳:鈴木文音(市民スタッフ)


・「日本や韓国に来ると、とても『映画を撮りたい』という欲望が湧いてくるんです」
・李康生との出会いはゲームセンター 「これが僕の自然なんです」
・心の中で「あなたは監督さんのことを知りたいんじゃないの?」という声がして…(チェン・シアンチー)
・一緒に協力して仕事をすれば“良い友の関係”
・「来る度に必ず見る、ある一人の観客がいます。今その一番右に座っている方です…」(李小康)
・自分自身を“検査”する
・“考えさせる空間”
・“水”は人の愛情の様なもの
・映画の中に同性愛などをよく出すのは、人間の心の中にある暗い一面を表現したいから
・今の若者特に今映画を勉強している方とは色々と交流したい



鈴木直志(以下鈴木直):とちったりすると思いますんで、その辺は平にご容赦下さい。よろしくお願いします。

鈴木文音(以下鈴木文):監督と、二人の男優と女優さんの中国語から日本語への通訳を担当させていただく鈴木文音です。よろしくお願いします。

鈴木直:進行についてちょっと話しちゃいましょうか。これは監督さんたっての希望なんですけれども、今回の座談会、どちらかと言えば、監督さんと私達《司会者》が話すというよりかは、監督さんと皆さんで、今日ここに来られた皆さんで、屈託のない話しでディスカッションをしたいという希望がありますので、私たち司会は交通整理程度の所で、出来る限りお客さんの方から意見とかご質問などを頂ければと思います。

鈴木文:皆さんご存じだと思うんですけど、真ん中に座っているのが蔡明亮監督さんです。で、私の隣に座っているのが陳湘[王其]小姐という、監督さんの『河』とか、よく出ていらっしゃる(鈴木直:他にも『台北ソリチュード』)女優さんですね。で、一番遠くが、李康生。小康(シャオカン)と呼ばせて頂きます。チェン・シアンチーさんは、シャンチーと呼ばせて頂きます。

鈴木直:監督は…

鈴木文:監督さんは、監督、ということで。それではちょっと簡単に監督の方から…

鈴木直:そうですね、じゃあ監督の方から簡単に紹介を。お二人についてちょっと紹介して頂けますか。
 

(この後、監督が中国語で話した内容を、鈴木文が中国語で説明。場内に笑いが起こる。)

鈴木文:ごめんなさい。間違えました。すみません。
 


 「日本や韓国に来ると、とても『映画を撮りたい』という欲望が湧いてくるんです」

<以降、通訳された内容>

蔡明亮監督:今回「しんゆり映画祭」に参加させて頂きまして、ありがとうございます。私自身、映画祭に実際に参加することがとても好きで、特に何とか賞の受賞ではなくて、皆さんと会話出来るのが好きなんです。私が小さな映画祭を好きなのは、観客との直接の出会いとか触れ合いが出来るのがとても楽しいからです。昨日はちょっと時間がありまして、渋谷でぶらぶらしてたんですが、その時に途中で雨が降ってきたのでちょっとユーロスペースに寄ったんですが(笑)、そのユーロスペースで、今『河』を2ヶ月間ずっと上映していて、とても嬉しいです。私の映画が次から次へと上映され、支援され、応援していただいてるんで、日本の観客の皆さんにはとても感謝してます。この状況は、台湾とは全く逆なんですが、その問題については、あとでゆっくり議論しましょう。以前、日本と韓国でいろいろと映画祭に出た際は、とても嬉しいというかとにかく楽しみました。日本や韓国に来ると、とても「映画を撮りたい」という欲望が湧いてくるんです。どうもありがとうございます。Thank you!

(場内拍手が起こる)


 
李康生との出会いはゲームセンター
「『これが僕の“自然”なんです』その言葉には大きな影響を受けました」(蔡明亮監督)
 

鈴木直:監督と(お二人が)どういう風に知り合ったかという経緯を教えて頂けますか。
 

蔡明亮監督:まず、李康生、小康との出会いを先に話してみたいと思います。ゲームセンターとちょっと関係が深いんですが(笑)。わたしと小康との出会いは、皆さんご存じのようにゲームセンターで、その時に小康は大学に入るために予備校に行っていて、昼間にはゲームセンターでアルバイトしてました。生活費のために。そのゲームセンターにちょっと違法なゲームがありまして・・・お金を賭けてるんですよ。実はそのゲームセンターではお金を賭けちゃいけないんですが、そのゲームではお金を賭けてまして、小康がその時の見張り番。たまたま私が映画館を出て、その〈ゲームセンターの〉近くを通った時に小康と出会って、ちょうど一人男優を探してた、というか、自分の使いたい人を探してた時、小康を見い出したという感じです。

でも3日間使って、とても後悔しました(笑)。最初はとても演技が下手で、反応が鈍くて、結構大変でした。それである時もう我慢出来なくなって、小康を呼んで来て、「表情とか演技がもっと自然に出来ない?」と言ったんです。ロボットみたいに何も表情がなかったので、「少なくともまぶたぐらい動かしてみたらどう?」という風に、“自然”ということについていろいろ説明しました。その時は小康も困ってました。どうすればいいか分からなくて。そして、最後にやっと、「これが僕の“自然”なんです」と答えたんです。その言葉には大きな影響を受けました。私自身では、何のシーン、とか、頭の中に演技が入ってますから、こう、でき上がった概念が入ってます。自分としては、“自然”な演技や、“自然”な映画を撮りたい。最初のころには、その“自然”というものをなかなかうまくつかめなくて、それで、〈小康の〉“自然”がどういうものか、ちょっと観察してみたところ、いつもの小康の“反応が遅い”というものが“自然”ということなんですね。あと、〈小康は〉静か。もの静か。その静かな所で、神秘的な雰囲気を出しているという感じがしました。とても分かりにくかったです。でもこれは小康の魅力です。その小康の演技は、私の後の作品にとても大きな影響を与えています。陳湘[王其]については、湘[王其]本人から説明してもらいましょう。
                            

心の中で「あなたは監督さんのことを知りたいんじゃないの?」   
という声がして…(チェン・シアンチー)

チェン・シアンチー:私はとても幸運に恵まれています。私は大学を卒業してからエドワード・ヤンの『恋愛時代』の映画を終えて、すぐアメリカに留学しに行きました。その時、アメリカにいた頃は、台湾の新しい映画をなかなか見るチャンスがなかったんですが、たまたま友人から「『愛情万歳』という映画はどう?」と勧められました。それで、ある晩、友人の家で『愛情万歳』を観ました。たまたまその友人が夫婦でパーティーに出掛けたので、暇で暇でずーっと家で二人を待ちながらその映画を観てたんです。本当は別にその夫婦を待つことはなかったんですけど、実際その映画を観ててとても感動して、ちょうどブルーな雰囲気に入っていた時だったので、どう反応すればいいのか分からなくて、それでずうっと〈二人を〉待ってたんです。それで初めて監督さんを認識したいという気持ちが湧いてきました。それまで、特に誰を知りたい、というそういう欲望を持ったことはなかったのに、その時は、映画を観て、蔡明亮監督と是非お会いしたいという気持ちが湧いてきました。

運良く、たまたまある先輩がニューヨークに来て、その先輩がたまたま監督さんの友達!でした。その時に、私の心の中で「あなたは監督さんのことを知りたいんじゃないの?」という声がして、このチャンスを使って、その〈先輩である〉友だちを通じて、監督さんと知り合うことが出来ました。〈監督に対しては〉自分の希望も言って、「もし将来出来れば監督さんの映画に出たい」という気持ちを伝えました。それから、卒業のちょっと前にいきなり電話が来ました。「蔡明亮ですが」という電話が来たんです。その電話がきた時は時差の関係でまだ寝ていたので、思わず跳ね起きて、「えっ?」とびっくりしました。電話の会話の中で、「夏休みに新しい映画があるのでいかがですか」と聞かれました。その映画は『河』でした。これがきっかけで、蔡明亮監督と知り合って、それで『河』に出演させて頂きました。

蔡明亮監督:最初、電話した時に一応ちょっと話したんですが、〈チェン・シアンチーの〉『河』の中の出演場面はとっても少なくて、せいぜい10分ぐらいで、役もそんなに大した役ではない。ただ道をぶらぶら歩いていて、でもちょっとラブシーン、いわゆるベッドシーンもあります、と。台湾の一般の女優には、ベッドシーンはあまり出演したくないという、拒否する傾向がありますが、電話で話した時にそのことについてシャンチーに尋ねてみました。特にシャンチーは、キリスト教、クリスチャンなので、ますます抵抗があるんじゃないかと思ったんです。最初はそのベッドシーンはどうすればいいか、シャンチーも結構迷っていました。台湾の女優は、ベッドシーンをやる時に、どのような角度から撮るか、どこを隠さなきゃいけないとか、そういう細かい問題がきちんと議論されないとなかなか〈ベッドシーンには〉出演してくれませんが、シャンチーは、けっこうあっさりOKと言ってくれて、特にその細々したどの角度から撮るか、何をどこまで見せちゃいけないとか、そういうことには特に何も言わず、アメリカから帰って来てその役を演じてくれました。



 
一緒に協力して仕事をすれば“良い友の関係”
「シャンチーと小康には、新作では、また主演してもらうことを決めました。」
 
鈴木直:そういった意味では、蔡明亮監督の映画にはシャンチーという存在は欠かせない存在となってくるんでしょうか。

蔡明亮監督:今まで俳優さん達と一緒に仕事をしてきた中で、協力して仕事をすればする程、それぞれの俳優さんの特徴が出てきます。協力をすれば、良い友の関係、つまり友人関係がより堅くなる、というか、それを深めていくことになります。たとえば、シャンチーだけではなくて、もちろん小康も含んでいますけれども、楊貴媚とか、あと苗天とか、『河』や『青春神話』に出ていた役者さん達とは、皆さんといい友人関係を持っています。みんなと一緒に仕事をすればする程、お互いの理解を深めていって、また、俳優さん達の素顔が分かりやすくなります。それで今度、シャンチーと小康には、これからの新作では、今まだ台本をかいていますけれども、また主演してもらうことを決めました。
 「来る度に必ず見る、ある一人の観客がいます。          
  今その一番右に座っている方です…」(李小康)

鈴木直:今ちょうどその話に出てた小康なんですけれども、まだ一言も話してないので(笑)、監督との成り行きとか作品に出てからとか、ちょっとお話しを伺えますか。

李小康:日本の観客にはとても感謝しています。今回しんゆり映画祭には、『青春神話』とその次の『河』の上映に当たって来ています。しんゆりはとっても好きですが、今後、新しい映画でまだ日本で公開していない『洞』とか、『愛情万歳』も出来れば上映して頂きたいです。いい映画は何回観ても飽きないということで・・・(笑)。今まで日本にはもう7回以上来てますが、来る度に必ず見る、ある一人の観客がいます。今その一番右に座っている方です。その観客さんにちょっと伺いたいんですが(笑)、今まで『青春神話』は何回観ましたか?

一番右の観客:『青春神話』は、何か気が滅入った時とかそういう時に、より気を滅入らせたくって見ちゃったりして、もう10回とか、そんな以上。時間があったら映画館に通ったりして、そして自分の中で一番好きな映画です。

鈴木直:監督さんの作品はみんな好きなんですか?

一番右の観客:全部、あの雰囲気がすごい好きなんですよ。そこの空気と映画館で一緒に同居できる時が、暗い映画なんですけど、何か安心感のような。こないだの『河』なんかもそうなんですけど、もう、濁流の中を自分も一緒に流れて行っちゃおうかなっていう感じで、もうどうでもなっちゃえって。

鈴木直:刹那的ですね、何か。(笑)

一番右の観客:それが好きで、結構見入ったりもしました。

(場内に拍手が起こる)

鈴木直:どうもありがとうございます。


 
自分自身を“検査”する

蔡明亮監督:今の観客さんの言葉は、私がとても皆さんに伝えたいメッセージです。私の映画はみんな結構悲観的と言われていますが、実際は今観客の方がおっしゃったように、あるメッセージを皆さんに伝えたいんです。現代社会の教育では、何かを追求しなければいけないということになっていますが、その、何らかのものを追求する時に、自分を見失うことがよくあります。今、私の映画では、自分に対して一つの“検査”を行う感じで作品を作っています。鏡を見る様に自分自身に対してよく検査をして、観客にもこの作品をみてもらうことで自分自身に対して“検査”というか、反省というか、そういう、自分に対する反省をして頂きたいというか、自分自身をもう一度見つめてほしいというメッセージがあります。映画を見た後で、自分自身に対して“検査した”というか、自己反省ではないけれど、まあ、考え直した、という効果があれば、とてもありがたいと思ってます。表面的には、少々悲観的というか、消極的なイメージがありますが、実際には、「自分の生活に対して見つめ直してほしい」という面から見ると、そんなに消極的ではなくて、積極的な面もあります。特に、普段の生活に関して見つめ直すという意味で。といっても、今の話は、別に宗教を宣伝しているのではありませんので(笑)。
 

鈴木直:監督の映画に出てくる方々というのは、みんな強く、もちろん混沌で生きてはいるんですけれども、何かしらの解決策を見い出そうという、そういう何か方向性が見られると思うんですけど。特に先程の『青春神話』を〈皆さんは〉見られたと思うんですけれども、色々と混沌しながらも、最後のシーンっていうのは、何かしら明るさというかですね、ある別の方向性というのを見い出そうという風に〈受け止められると〉考えてるんですけど、その辺は監督はどのように考えていらっしゃいますか?

蔡明亮監督:私が『青春神話』を作ったのは1992年で、その時は自分の生活環境に対してちょっと不満がありました。当時台北市内は、政治的に自由化したり経済も発展してきていました。その転換する過程では、大きな変化の中で、自分の中でも早く古いものを捨てたいという気持ちになっていました。例えば、古い家などをわーっと全部壊して、新しいビルを建てたいという気持ちがありました。今言った様に台湾には大きな変化がありましたが、台湾の人々が成長していくのにつれて、建物や場所も同じ様に成長してきました。例えば1954年当時、蒋介石が大陸〈中国〉から〈国民党の〉軍隊を台湾に連れて来た際の兵士達がいます。その兵士たちは、現在は皆年がいっていますが、彼等いわゆる引退した兵士達の多くが、よくたまり場にしている「中華商場」という場所があります。一つの都市が成長していくと、古いものを壊して新しいものを創るという変化は避けられない過程ですが、先の、その引退した兵士達のたまり場、「中華商場」、という場所も、時代の流れで壊されました。その時に、引退した兵士達は、その壊れた建物の跡に座り込んで涙を流していました。その感覚に、視覚的に衝撃を感じました。心にも大きなショックを受けました。特に、台北の私にとっての印象、というか感覚は、“古い記憶のない街”というものです。“記憶がない”街です。台北にいるということは、大きな街の中にいるということですが、実際の感覚的には工場にいるのとあまり変わりません。毎日どこかで穴が掘られていたりとか、建物が建てられたりとか、大きな街というよりも、工場にいるといった感覚の方が大きいです。

(ここで、鈴木文、感極まって涙を流す。別の通訳者が訳を一時的に引き継ぐ)

蔡明亮監督:通訳の方も台湾で生まれ育った方なので、私の話を聞いていろいろな感慨が沢山あると思います。(鈴木文:すみません、大丈夫です。)今から皆さん、何か話したいことがありましたら、是非。映画に関して好きか嫌いか、あと今話した内容について、何かご意見がありましたら、お願いしたいんですが。


 
 “考えさせる空間”
 
質問者1:監督の映画は好きで、『河』は観てないんですけど、前作2本観てて、今日お会い出来てお話し聞けて楽しいんですが、それよりもチェン・シアンチーさんが、私にとってはもう大ファンだったので(笑)。『恋愛時代』観て、これほど美しい人はいない、と思って、それが今日会えて。ですから監督にも色々聞きたいんですけれども、私の質問はチェン・シアンチーさんで(笑)。エドワード・ヤン監督と、蔡明亮監督と、演出の違いとかあったら教えて頂きたいのと、あと今後どういう監督との、あの、台湾以外の方でも結構ですから、出てみたい監督がいらっしゃったら教えて下さい。

チェン・シアンチー:蔡監督の作品はとっても好きです。ものを創るという、色々芸術面で共通した所が〈蔡監督と自分には〉沢山あると感じています。皆さんはきっと蔡監督の映画を観たと思いますが、〈蔡監督の〉映画の中では、最小限のもの・道具を使って、色々な深い意味やものを表現しています。ハリウッドの映画は、視覚的というか、官能的で、特に見る時に受ける刺激がとても楽しいというところがありますが、見た後、心の中には何も残りません。今の情報社会には色々なものが溢れていますけれども、蔡監督の映画では、一つの“考えさせる空間”を提供してくれています。昨日、ちょっと時間がありまして、あるイギリスの演劇、舞台劇を見たんですが、その中で女の主人公は、いつも割れた半分のお皿を持っていて、そのお皿の半分を探していました。監督さんの映画はこの女の主人公の様で、監督がその割れた半分のお皿を持っていて、観客のみなさんはそのもう半分のお皿を持っているという感覚を持ってほしい、そういう感じで私は監督と〈監督の〉作品を共有しています。今、私は皆さんと同じ様に、その割れたお皿の半分を持っていて、そのもう半分をもっている友達は沢山います。これ
から〈出演する〉映画に関しては、量より質の方を重視していきたいんです。特に誰の映画をやりたいとか誰の映画に出たいという面に関しては、国際的な視点で完全にオープンにしています。

 
 “水”は人の愛情の様なもの
  
質問者2:こんにちは。映画は、ええと蔡明亮監督の映画は、好きで観させていただいてるんですけど、『青春神話』と『河』は、すごく相似性があるように感じるんですね。あの、水の使い方とか、ラストのシーンの出し方っていうのが、その辺がパラドックス的な、パラレルワールド的なことを感じるんですけど、それは意識して狙ってるか、っていうか、同じものの二面性を出しているのかを、ちょっとお聞きしたいんです。あともう一つ、ちょっと不躾な質問なんですけど、『河』が台湾での上映の時に、評判がどうしても同性愛と近親相姦の点になってしまわれて、監督がしばらく映画についてちょっと、何て言うんですか、あの、気持ちが落ち込んだっていうのをおき聞きしたんですけれども、その点について監督の意見をお聞きしたいんですけど、お願いします。

蔡明亮監督:簡単なものが好きです。まあ、自分の生活に似ている、シンプルなものが好きですね。生活の中に、複雑なものの要因とか、そういうものは入れたくないんです。単純なものこそ、一番力をもっていると信じています。例えば“水”。水はとても手に入れるのが簡単ですし、あちこちに存在していますが、一旦水が力を発揮すると、とても大きな力になります。あらゆるものはそれ自身が色々な深い意味を持っているけれど、それは、見る人によってその深さの見え方が異なります。私は水がとても好きで、今まで色々な映画で水を使っていますが、これからも水を使うつもりなので、ずっと水の可能性を探究しています。そして、毎回使う度に、水の異なる面が見えてきました。

『青春神話』では、結構色々水を使っていたのを思い出して、実はあまり言いたくないんですけど、水の意味は観客の皆さんが(鈴木直:インスピレーションを)探して欲しいんです。実際、水というのは人の感情の様で、いわゆる愛情の様なものです。欲しいけれども、いざ来てしまうと逆に怖い、というか、困る、といったもの。例えば、『青春神話』の中に出てきたアザオが、湧いてきた水をタオルで塞ぐというか止めようとしましたね。でも、結局そうしてもダメになってしまって。もし人間に愛情が無ければ、植物に水が与えられないのと同じで、枯れていく感じがします。そこで、自分の映画の役、俳優さん達にも、映画の中で水を飲ませたい、と。例えば、植物が水を求めるように、自らに水を注ぐという感じで、役者さん達に水を飲ませたいという感があります。

まだ日本未公開の『洞』に関してちょっと言うと、作品中ずっと雨が降っています。『洞』の中ではずっと雨が降っていて、それが一つの大きな災難になってしまっています。20世紀の世紀末の問題というか、一つの大きな災難、という意味で水を使いました。『洞』の最後のシーンで、小康は、楊貴媚に水を差し出します。その時に、水は“災難”ではなく“救い”になります。これからも水を撮り続けたいです。多分やめられないと思います(笑)。映画の中でよく生活に必要な水を使っていますが、水というものは、なければ生きてゆけないものです。

 映画の中に同性愛などをよく出すのは、人間の心の中にある暗い一面を表現したいから

蔡明亮監督:『河』の中では、色々と乱れた関係を撮っていて、それに対して多くの人が不快感を覚えるかも知れません。しかしその不快感は、人間が自分自身に対面する勇気がないということの表れではないかと思うんです。例えば、洋服を着ずに大きな鏡の前で自分の体をじっと見る、そういう勇気は、殆どの人にはないんじゃないかと思います。特に自分の体が老化していくとか、何らかの変化を見るのを、とても怖がっているんじゃないでしょうか。映画の中に同性愛などをよく出すのは、そういうものを使って、人間みんなの心の中にある暗い一面を表現したいからです。特に、恐怖感、自分自身に対する恐怖感、とかそういうものを提起して、映画にメッセージを持たせたいのです。

〈私の〉同じ作品を見ても、人によってそれぞれ反応は違います。ある人にとってはとても自己開放的なもので、またある人は自分自身を見つめて怖がってしまう、そういう所があります。人間それぞれ反応が違うのは当り前なので、観客の示すそういう反応は受け止めることが出来ます。映画を、一つの創造上の表現とすると、私の作品は、自分自身を表現したものです。その表現に対しては正直にならなければいけないと思っています。表現については、特に映画を創っている人間は、正直でなければいけません。その誠実さというか正直さは大切だと考えています。他の行為、すなわち自分と異なる行為、に対して怖がる、というのは、つまり自分自身を怖がっているのと同じです。作品を創る時には、自分に対して正直になり、まさに“阿呆”がつくぐらい正直に表現しなければいけないと感じます。

(会場から拍手が起こる)


 今の若者、特に今映画を勉強している方とは色々と交流したい(蔡明亮監督)

鈴木直:とても感動的なお言葉をありがとうございます。大変申し訳ないんですけれども、まだきっと質問とかあると思いますが次の上演の時間もありますので、最後に一言ずつ、しんゆり映画祭に参加されて、感想みたいなものを一言ずつだけ頂けますでしょうか。

チェン・シアンチー:今までいろいろと国際映画祭には出ていますが、今回「しんゆり映画祭」に対しては、特別な感情を持っています。この映画祭に関して、好きな理由が二つあります。一つは、自分の好きな人がいる、そこで自分の映画を観てもらったことにとても喜んでいるということで、今回この川崎に仲の良い友達がたくさんいるので、皆さんに今回の作品を観てもらうことで、みなさんとの距離がとても近くなったように感じています。川崎に対してはとても特別な感情をもっています。もう一つは、今回の「しんゆり映画祭」が、いわゆる市民主導型の映画祭で、皆さんはご存じないかも知れませんが、こちらのスタッフはほとんどボランティアです。このように市民が団結して一つのイベントとしての映画祭を開催したことに対してとても感動しています。以前、日本に最初に来た時は、ある友達にとてもお世話になりました。帰りに空港まで送ってもらったとき、「さようなら」と言いたかったのですが、その時「いらっしゃいませ」と言ってしまったんです(笑)。今回は…(チェン・シアンチー自身の声で)「アリガトウゴザイマシタ」
 

李康生:今回は2日間という短い時間しかなかったんですが、やっぱりついついゲームセンターに行ってしまいました(笑)。そこで新しいゲーム機を発見しました。馬に乗って二人で競争するやつです。台湾で競馬関係のゲームをやったことがあるので、馬のゲームについては興味があるんですけど、今回のはとてもいいゲームでした。いい運動にもなりますし(笑)。友達とも楽しめますし。とっても自分にとってはいいゲームでした。皆さん本当にありがとうございます。今度、新しい映画もこちらで上映していただけるように願っています。どうもありがとうございました。
 

蔡明亮監督:今回、小康はとてもゲームセンターに感謝してるみたいですね(笑)。私はある監督に感謝しています。日本の監督、年配の監督で、例えば黒沢明監督や今村昌平監督などは、とても良い監督と思っています。こちらに来る前に、今村昌平監督の『楢山節考』の後半をテレビで観ました。最後の少しだけを観たんですけれども、その少しだけでとても感動しました。その中の俳優さん、緒形拳さんが、お母さんを追って山に上り、死を待っているシーンにはとても感動しました。最近、黒沢監督が亡くなられたのですが、彼は私が一番好きな監督でした。作品の中では『生きる』が一番好きです。この作品には、献身的であることの意味が含まれており、これが黒沢監督の代表作ではないかと思っています。

私は、今の若者、特に今映画を勉強している方とは、色々と交流したいと考えています。若い人で、映画を創作する人たちには、黒沢監督の『生きる』を是非見て頂きたいと思います。この何年かはずっと古い映画しか観ていないんですが、自分はそれら古い映画から沢山のものを得ました。ここで、その日本のいわゆる長老監督に対して感謝申し上げます。それから、皆さんにちょっとしたプレゼントがあります。(監督、鞄から何かを取り出す)私が描いた絵で、宣伝用のポストカードです。残念ながら30枚しかないんですが…。
 

鈴木直:こちらの方のチラシの裏側にですね、シールが貼ってある方がいらっしゃるんですが、その方は、後ほど外に出て受付の所で、こちらの方のシールを貼ったチラシを見せて頂ければ、こちら〈監督の描いた絵のポストカード〉と交換しますのでお立ち寄り下さい。

鈴木文:ポストカードはサイン入りです。三人のサインが入っています。
 

蔡明亮監督:(自身の声で)「アリガトウゴザイマス」