座談会 「名画座壊滅論」 98年10月8日(木)19:30〜

ゲスト:三浦大四郎(文芸坐代表)
司 会:安藤あいり(市民スタッフ)、箕輪克彦(市民スタッフ)


・名画座のはしり、「人世坐」と三浦大四郎
・450席の劇場に一日4千人が列をなす映画館大盛況時代
・文芸坐ドキュメント
・文芸坐最後の日
・「もう17,8年前から「名画座っていうのはやがて壊滅するだろう」ってことを言い続けてきたんです。」
・ロードショーは半年経つとビデオ化される 「1300円取らなきゃゃやらせないってこと言われるとね、お客が来るわけないですよね。」
・成功しているシネマ・コンプレックス 快適な環境で映画観られる、映画館の本当の最低条件…でも既存の映画館も大事にして欲しい
・「映画の古典っていうのはね、是非若い人たちに観てもらいたいんです」
・文芸坐の再興はあるのか 「映画館で映画を観ることによって映画界というものを何とかまた良いものに」



名画座のはしり、「人世坐」と三浦大四郎

安藤:皆様本日はお忙しい中お越しいただきまして、どうもありがとうございます。今日は「名画座壊滅論」ということでお話をいろいろ伺いたいんですけども、まず三浦さんが「文芸坐」の前身であります「人世坐」に関わるようになった経緯からお話をお伺いしたいのですが。
 

三浦: 皆さんご存知かどうかわからないんですが、三角寛という小説家がいたんですね。山窩(さんか)小説というのを書いてる、戦前に書いてた人なんですけども、戦前はオール読物で野村胡堂さんの「銭形平次」と三角寛の山窩(さんか)小説が大きな二つの柱だったらしいですね。そういう流行作家だった時代があるんですが、その三角寛という人が戦後池袋に「人世坐」という映画館を作るんですね。昭和20年の8月15日に戦争が終わりましてそれから2年半ぐらい経った昭和23年の2月に、池袋東口に「人世坐」という劇場がオープンするわけです。木造で純日本建設、まことに変わった建物だっだんですけど、これが三角寛が経営をして…ただ何をやったらいいかわからない、素人ですからね。映画会社に「映画やらしてくれ」って映画買いに行ったけど、なかな売ってもらえない。すでに池袋には数々の封切り館があってそちらで全部映画を上映することが決まっているんで、新しく出来た「人世坐」なんて映画売ってもらえないってことなんで。それでま、しかたがなくて当時の「東亜映画」、川喜多長政さんとかの所に行って「おたくの古い映画売ってくれ、宣伝用の古い映画」。それで戦前から東亜映画の倉庫にあったフランス映画その他の古い名画を上映するようになったんですね。名画座のはしりってことになると思うんですけども。で、私は当時演劇青年で芝居なんかやってたんですが、もちろん映画も好きだったんで。
 

安藤: 映画監督も目指してらしたという…。
 

三浦: いえ、んーそうですねぇ、まぁあのーそれは若い頃はね、映画少年とか映画青年は皆映画監督になりたいと思いますよ。まぁそういう意味で私もなりたいって思ったんですがね。なかなか難しくって、でもっと安直にできる芝居をやってたということもあるんですけど。それで「人世坐」に私が初めて映画を観に行ったんですよ。これが昭和24年の夏ですね、だから「人世坐」がオープンして1年ぐらい経った頃です。ちょうど僕観たい映画があったんで観に行ったんですけど、古い映画でね戦前の豊田四郎監督の『鶯』という映画で、なかなか上映されなかったんで私も観損なってたんで、昭和12,3年頃のベスト10の4位か5位に入っている名作なんですがね、それがたまたまやったんで観に行った。それで観終わって出て行ったらバッタリ僕の友達がいたわけです。友達がその「人世坐」で働いていた、ということがありましてね、それは偶然なんですが。「ここで働いてんのか」ってことでね、それでこれは女性なんですけども、彼女がいるから映画がタダで観れるってことで「人世坐」にそれからしばしば通うようになったということなんですね。

当時の「人世坐」は三角寛一家の家族経営だったですね。三角寛が事務所にいて、奥さん三角寛夫人が切符を売って、娘はもぎりで切符をもぎってた。他にも従業員がいたんですが、そういうなことでやってたもんですから当然その三角寛の娘とも親しくなったということもありまして。やがて彼女が結婚するようになったわけです。でまあぁ結婚するについてはこれは一人娘でとても嫁には出せないと、んじゃぁうちに婿に来いと、こういうなことになりまして。私大四郎でして、つまり男ばかり兄弟の四男なんですよ、一番下でね。で、おふくろや兄貴に相談したら「まぁどうせ末っ子なんだし、行きたいところどこでも行け」ということでね。
 

安藤: 別に止められはしなかったんですか。
 

三浦: いや、全然そんなことはなかったですね。私も映画も好きだったし、全然考えてはいなかったけどね、映画館の経営にタッチするのも悪くないなとこう思って。で、「人世坐」の経営にタッチするようになったのが昭和26年からです。随分古い話になっちゃったんですけども、それからずっと映画の仕事をやってきたってことになりますね。で、その後ちょうど映画が全盛時代で右肩上がりで年々観客がどんどん増えるって時代だったですから、それまで「人世坐」は三角寛親父がね、映画知らない人ですから、これがどういう番組組んだらいいんだかまるっきりわからない。映画会社のセールスマンに任せて「おまえやれっ」ということでやってれば、映画会社は自分が売りたいような映画ばっかりやらせることになる。お客は来ませんよ。まっそれでもね、映画全盛時代ですから何とか経営するくらいのお客は来てくれたんですね。で、私は映画好きでねぇ、映画青年だったってこともあるんで、私が番組編成をやるようになって。まだ20代ですから、当時の観客とちょうど同じような年齢ですから、私が「この映画いいな」って思ったらお客が来るんじゃないかなって思ってね、それでやったんですよ。そうしたら案の定お客さんが来てくれまして、わたしが番組編成をやるようになってから爆発的に「人世坐」にお客が入るようになりましてね。



450席の劇場に一日4千人が列をなす 映画館大盛況時代

安藤:どんな作品を流されたんですか。


三浦:当時のベスト10の第一位に入った『イブの総て』とかね、『サンセット大通り』とかから始まっていろいろ手がけまして、私の会心作ってね、ダニー・ケイの『虹を掴む男』、ベニー・ハットンの『アニーよ銃をとれ』っていうミュージカルなんですけれでも、この2本立てを「人生坐」でやったと、これがわたしの大ヒット作でね。皆反対したんですよ、映画会社もミュージカルはお客が来ないって言ってたんです。「人生坐」に古くからいる連中も「そんなのやってもお客来ないんじゃないかなぁ」って言ってたんです。で、私は「こんな面白い映画はない」って思ってたんでね、いやぁ皆そう言うけど「どうしてもやりたい」と思ってやったんですよ、この2本立て。これが物凄い大入りになりましてね。ま、映画会社も「お客来ないよ」っていうんで非常に安く売ってくれたんですね。ですから非常に儲かったということもあって、それから私も自信を深めて、以後「人世坐」ではミュージカル路線というのが一つ出来るわけです。その他いろいろやりました。いろいろやって非常に儲かるようになっちゃったもんですから、私が「人世坐」の番組やってから1年後に板橋に劇場を一件増やす、昭和30年には「文芸坐」を増やすというようなくらい非常に儲かった時代ですね。例えば「人世坐」はあの頃450席しか客席がないんですけども、『雨に唄えば』なんてのをやりますとね、しかも2本立てですよ『踊る大紐育』とミュージカルの2本立てで。
 

安藤:素晴らしい2本だてですねぇ、それは。
 

三浦:すごいでしょ?ま、今言えば素晴らしいんだけどもね、当時はなかなかね。私はすごい素晴らしいと思うんだけどもね。なかなか賛成を得られなかったんですけども、これをやった時はねぇ日曜日なんてのは4千人以上お客が来るんですよ。
 

安藤:うわぁすごいですねぇ。
 

三浦:だから450席の劇場に一日4千人入れちゃう。そりゃもう、すぐ札止めですよ、満員になっちゃうから。札止めしてもお客が外にずらーっと列作っちゃう。「いやもう入れません」「何とか入れてくれ」とこういうような事態ですね。次の休憩が来るまでお客さんはずーっと列作って待ってる。お客が何人か出ると出た分だけ入れるとお客がさらに並んで待ってるという、そういう時代だったんですね。劇場としても良き時代で、お客さんには申し訳ないけども、450席の劇場に一日4千人以上いれるってのは滅茶苦茶な話でね。通路から何から一杯。待ってるお客さんは「入りたい」っておっしゃるけどね、「今入ってもスクリーンが見えません、もう一杯で見えませんよ」と言うんだけども「いやそれでもいいから入れてくれ」と、「どっか見える所探すから」というような、そういう全盛時代でした。そんなようなことで「文芸坐」を増やしたということですね。



文芸坐ドキュメント 

箕輪:数々の名作とかあるいは珍作とかありますけど、「文芸坐」でかけられなかったものは殆どないんじゃないかと思うくらい様々な映画が銀幕を飾ったと思うんです。そういうような歴史を経て、残念ながら昨年、閉館というか休館してしまったんですが、豊島区が豊島区の象徴として非常に「文芸坐」っていうものを見てまして、休館する日にドキュメンタリーとして、これ非常に貴重なビデオなんですけども豊島区のケーブルテレビでしか放映されてないんで今日お集まり頂いたお客さん方も殆どご覧になってないと思いますが、実はそれ豊島区のご好意で借りて来れたんですが、ちょっとうちの方の手違いで音声にトラブルがありまして、一応これからビデオプロジェクターで上映したいと思うんですが、音声がねナレーションが欠落してまして…。
 

安藤:映像を見ながら三浦さんにご説明していただきたいと思います。
 

箕輪:そういうわけで皆さんにはちょっと申し訳ない所があるんですけど、かえって三浦さんのナレーション付きの方が面白いかも知れません。

(ビデオ上映開始)

箕輪:これは「文芸坐」が昭和30年にオープンしたときに三角寛がカメラマンを呼んできて撮影したフィルムですね。たまたまそれが残ってたんで。
 

安藤:昭和31年に開館…。
 

箕輪:31年ですね、昭和30年に「文芸イチカン(?)」が開館しましてね、3ヶ月遅れて「文芸坐」の方が開館したということになりますね。開館式だな。
 

三浦:…徳川夢声、徳川夢声も今の人は知らないかな。徳川夢声、永井龍男、…だな。でこれが井伏鱒二と。でこれが朝倉文夫と、朝倉摂さんの弟だね。あ、これは荒垣秀雄さんですねぇ、『天声人語』の。これ僕だ!(笑)河盛好蔵…、あちょうど僕がトップだ、後ろ井伏さん(場内歓声)。永井龍男と(声続く)…。
 

安藤: その時の様子っていうのは、どんな感じだったんですか?
 

三浦: オープンの日、ちょうど雨が降りましてね。「文芸坐」の第一作がたまたま『夢去りぬ』っていう映画なんですよね。どうもね、験が悪いなって思ったんですよ、オープンでね『夢去りぬ』じゃこれはイカンなって思ったんだけど、実は松竹の城戸四郎さんがね、頼みに来て「松竹の洋画のロードショーチェーンに入ってくんないか」新しい劇場が出来るんで入ってくれないかっていう話があって、で三角寛もですね天下の城戸四郎ですから、映画界のトップですよ、天皇みたいな人がわざわざ頼みに来たんで、「んじゃあ入ってやるか」みたいなことでね、松竹のロードショーチェーンに入ってオープンの時はロードショーやってたんですよ。
 

安藤: ねぇ。
 

三浦: ええ、信じられないでしょうけど。で、この時番組でもう決まってたのが『夢去りぬ』という映画なんでねぇ。これも最後の戦前日本映画。

(ビデオ続く)

三浦: えー今、うちのスタッフが出てきたわけですけども「文芸坐」の事務所の汚いこと、お恥ずかしいような話なんですけどね。
 

安藤: やっぱりちょっと歴史が感じられますね。
 

三浦: まぁ(笑)良く言えばそういう事なんか知れないんですけど、大変むさ苦しい所をお目にかけてお恥ずかしい…。
 

安藤: さっきルピリエとかシネブティックとか色々写ってましたけど。
 

三浦: これは「文芸坐」の映写室ですね。映写技師の谷口さんってのは当時77,8かな。もう映写技師さんっていうのは若い人いないんですよね。昔映写技師やってて、そのままやってるって人はもう高齢になっちゃってね、この人たちがいなくなったら映写技師さんはイナイって時代ですね。谷口さんももう「文芸坐」なくなると同時に引退と言ってました。
 

安藤: あ、そう!寂しいですねぇ。
 

三浦: あ、貰い物ですね、「文芸坐」のスケッチ。誰が描いたのか、お客さんだと思いますね。
 

安藤: あ、贈られたんですか?
 

三浦: これは確か。
 

安藤: あっ、こちら『人世坐35年史』、三浦さんが書かれた本ですね。

(ビデオ 三浦:「そうですねぇ、私の人生そのものですよ。だから、まぁ映画産業がものすごい斜陽産業になっちゃって、今日本映画なんて絶滅寸前と言われるくらいでね。そういう時の流れには何とも打ち勝ちがたいというのがあるわけですけどね。いくらうちが一人で頑張ったってね、映画産業全体がダメになっちゃってんですからね。ま何とか頑張ってきたけども。」)
 

三浦: これは昭和29年の池袋東口。あすこのあれは西武百貨店ですね、当時の。ここに「人世坐」が写っているんですね、ここの。
 

安藤: あ、ここの真ん中。
 

三浦: ええ、斜めに屋根が見えした。これ、「人世坐」を正面から撮ったものです。
 

安藤: この「人世坐」の「人世坐」の“坐”って漢字が、こだわりが。
 

三浦: ええあの“歌舞伎坐”の坐の字。“广”がないやつなんですよね。中の人という字を2つ横に並べて書いて下に土、“すわる”という意味です。これはあのぉ“護る”っていう意味でもあるんです。

(ビデオ)
三浦夫人「まあ、そんなもの買ったってしょうがないでしょ、っていうものまですぐ買いたがる。たまたま映写機の入れ物があるから先生いらないかって…。で、そんなもん買ってどうするんだって言ったら映画館作りゃいいじゃないかって言われてんで、ふっとその気になっちゃった、のが本当らしいですね。だから怒ってましたけどね」

安藤: あ、こちら奥様。
 

三浦: ええ、もう去年死にました。(ビデオ続く)ああ、これ左が三角寛で、立ってる女性が私の女房、娘時代ですね。
 

安藤: 奥様、日本髪で。もぎりをなさっていたんですよね。

(ビデオ)
三浦夫人「あのころはとってもお客様が入りましたからねぇ。他に娯楽が何もないですからね。それこそ列作って幾重にも幾重にも並んでね。でもうお客様一杯でしたよ、いつも満員」

三浦: これはね「文芸坐」建築する時の記録フィルムですね。これも三角寛が撮った、自分で撮ったんじゃないかな。
 

安藤: あ、そうなんですか。これ、かなり貴重なフィルムになりますよねぇ。
 

三浦: そうですねぇ。自分で×××回して撮ったと思いましたね。いやぁ随分乱暴なやり方なんですけどね、まだ図面ができないのに、いきなりブルドーザーとショベルでもってねぇ、穴掘りやっちゃって。
 

安藤: もう来ちゃったんですか?もう一刻も早く開館したいという願いだったでしょうね。
 

三浦: ええ、突貫工事で3ヶ月でやったですよ。地下2階地上3階の建物を建てるといういうような無茶をやったですね。

(ビデオ続く)

三浦: これ、オープンの時ですね。ん?うーん。これ、「人世坐」と「文芸坐」が両方写っている貴重な航空写真がありましてね。
 

安藤: こちらは?
 

三浦: あ、これは三角寛の自宅ですね。

(ビデオ)
三浦夫人「…住むのはここに住んでたんですけどね。また主人が映画の仕事がしたくてしたくてしょうがなっかたですから。父が思いもかけず割合早くポコっと死んでくれたものですから、だから主人が戻れて。私も主人も、ま、親が死んで良かったってんではないですけどね、やっぱりやれやれって感じでしたね。主人はともかく戻ってきた時もう嬉しくって。」

三浦: ん、復帰してみると、まぁ日本の映画界ってすごく昔のまんまですねぇ。私12年間いなかったんですけどね、12年前とちっとも変わらない、進歩がない。これには驚きましたね。私はそれから色々やったわけですけど、基本的にはお客様と対話したいってことなんですけどね。対話したいっていう事はつまりコミュニケーションが無ければね、お互いつまらないんじゃないかと思ったんですよ。他の商売の人は皆やってるわけですからね、「お客様いらっしゃいませ」って。
 

三浦: えー、これは「文芸坐」で毎週出してた「シネ・ウィークリー」ですね。
 

安藤: 最終号になるんですか?
 

三浦: うーんと、これはどうかなぁ。
 

安藤: こちら「文芸坐シネ・ブティック」になりますね。
 

三浦: ええ。ま、映画関係の本とかポスター、チラシ、あるいはチケットなんか売ってたんですけど。
 

安藤: なかなかね、これだけ映画関係のものが揃ってるお店も。
 

三浦: 劇場だけじゃなくて、色々あったほうが面白いと思ってね。楽しいんじゃないかって思ってやっただけなんですけどね。結果として相乗効果があったって事は言えますね。
 

安藤: それはありますよ。 こちらも喫茶店で、「文芸坐」の。
 

三浦: ええ、喫茶店もありましたよね。まなかなか喫茶店も評判良かったんですよね、カレーライスとかオムライス何かね(笑)。
 

安藤: すごく美味しかったっていう評判を聞いてます。
 

三浦: ええ!僕の娘夫婦が最初やってたんですけど、一生懸命やって良かったですね。
 

安藤: 映画館あり、劇場あり。

(ビデオ続く)



文芸坐最後の日

三浦: これ藤田ビンパチ、藤田敏八監督ですね。たまたま最後の日に映画を観に来たんですね。

(ビデオ)
藤田監督「いやぁこりゃ、やっぱり劇場がね今日が最後だっていうのがね、かなりそれなりの歴史を感じるんでねぇ。昭和30年の12月が始めって言ってましたよね。その年に日活に、映画界に入ってますからね、30年に。僕が入ったのと同じ、まぁそりゃ歴史みたいなもんがあるわけですよね。」
―「随分通われましたよね」
藤田監督「そうですね、なんだかんだで、一番…。見逃した映画っていうのは必ずここで観れましたからね。そういう意味じゃ大変ありがたかったし、できれば再建してほしいと思いますけどね。」

(ビデオ)
(観客の大笑いがスクリーンに響く)

三浦: これは地下の「文芸坐の」×××っていう、生のもの、芝居とかコンサートとか。これは落語、快楽亭ブラックっていう若い落語家ですけどね、これ最後の日彼がやってたんです。

(ビデオ続く)

三浦: んー、もう最後、いよいよフィルムがこれで終りって所ですね。「文芸坐2」、地下劇場ですね。もうこれで最後と…。

(ビデオ)
(スクリーン大拍手)
三浦「どうもありがとうございました。先ほど映画が始まる前にご挨拶申し上げましたのでもうコメントはございません。もう、御礼を申し上げるだけでございます。本当に長い間「文芸坐」をごひいきにして頂きましてありがとうございました。これをもちまして、「文芸坐」の全営業を終了させていただきます。全部終わりました、これで終りでございます。本当にありがとうございました。」
(再び大拍手)

安藤: 最終日というのは本当に人が入りきれないくらいの長蛇の列で。
 

三浦: ねぇ、それもねぇ、毎日こう来てくださると良かったんですけどねぇ(笑)。なかなかそういうふうに行かなくて。最後のご挨拶ですね。「文芸坐2」が先に終わりましたので、この後地上の「文芸坐」がまた終わるんですけど。
 

安藤: 本当に多くの人に愛されてた劇場だったんで。
 

三浦: ええ、お客さんがね、もう帰らないんですよねぇ、本当に。お帰りにならないで表の道路で皆さん立ってお待ちになって、別れを惜しむという感じでしたね。売店ももう品物が無いという所だとおもうんですけど。
 

安藤: ね、も本当に熱心なファンの方はよく通われたと思うんですよねぇ。
 

三浦: ええ、ありがたい事ですよね、本当に。

(ビデオ続く)

三浦: 最後、僕ちょっと客席の方に。
 

安藤: やはり感慨深いものがありましたか。
 

三浦: んまぁ複雑な心境でしたね。『戦火の勇気』っていうのを最後にやったんですけどね、その最後ですね。
 

安藤: この『戦火の勇気』という作品を最後の上映に選ばれたのは何故ですか?
 

三浦: いえ、特に意味はないんですよね、たまたまそういう事になったって事なんですよね。ま洋画はね、なかなか難しいんですよ、こっちがやりたいと思う映画が必ずしも。ちょっとやりにくいっていう状況がありましてね。

(ビデオ続く)

三浦: あこれ、地上の「文芸坐」の方で、最後の挨拶です。

(ビデオ)
(スクリーン大拍手)
三浦「本日はありがとうございました。本当に長い間、40年を超える間皆様のご愛顧を頂きましたこの建物も今日が終りでございます。「文芸坐」自慢のこの天井の高さ、それからこの大スクリーンも今日で終りという事になるわけでございます。また「文芸坐」が休館するという事をお知りになったお客様がここのところ連日のように色々な方が見えまして、花束とかお酒、お菓子、ケーキ、色々差し入れをしてくださいました。「随分お世話になりました」とおっしゃって下さるんで、どうも私どもの方がお世話になりましたので大変恐縮しておりますが、それだけお客様よりご支援いただいたという事が私どもにとっても大変嬉しいことでございます。本当に長いこと「文芸坐」をごひいきにして下さいまして、ありがとうございました。心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました。」
(再び大拍手)

安藤: これが本当の最後の挨拶。
 

三浦: そうですね。これが最後の挨拶です。

(ビデオ続く)

安藤: この中にも「最後、この日に行ったよ」って方も多分いらっしゃると思うんですけど。

(ビデオ続く。三浦沈黙がち)

安藤: 奥様もやっぱり寂しかったでしょうねぇ。
 

三浦: そうですね。お客さんがなかなかお帰りにならないんでねぇ。ここ色々ナレーションがはいってるんですけど。

(ビデオ続く)

三浦: ああ、ついクセでねぇ。ごみが落ちてたんでごみ拾ったらそこ写されちゃって。
 

安藤: まぁねぇ、もう人生そのもっておっしゃってましたから、体に染み付いたものが…。

(ビデオ)
三浦「 …理想的な劇場ったってね、お金が無いからね劇場まるで奇麗に作りかえるなんて事なかなか出来ないね。せいぜい掃除をこまめにやる。清潔にするって事以外出来ない。あと色々な意味でこうしたらいいんじゃないかなと、お客がこういうこと望んでんじゃないかなと、いうことをすぐ実践してやってきたいうことなんですけどね。」

三浦: これで終わりだと思いますね。
 

安藤:VTRの方どうもありがとうございました。

(会場拍手)



「もう17,8年前から「名画座っていうのはやがて壊滅するだろう」ってことを言い続けてきたんです。
事実その通り、名画座っていうのは壊滅ですね。」

安藤: 『素晴らしきシネマ・パラダイス』というビデオ、ご覧頂きました。「文芸坐」の開館からの歴史を見せて頂きましたけれども。
 

三浦: これ、私が撮ったわけじゃありませんですけども、地元の行政の豊島区の広報課が記念として記録しておきたいと。ありがたい話なんですが。私が考える以上に「文芸坐」という存在を大きなものとして受け止めていて下さったんだという事を知って、私は本当に驚きました。ありがたいと思っております。
 

安藤: 休館するにあたって惜しむ声も非常に高かったと思うんですけども。
 

三浦: そうですね、皆さんそうおっしゃって下さるんで、嬉しいし申し訳ないという気持ちで一杯なんですけどもね。ただ映画界の状況というのが非常に厳しくてですね、特に私どもの様にたった一館、独立館ですね、大きな大資本のバックがあるわけでもありませんし大会社の直営館というわけでもありませんから、全部自前でやってる訳ですから、正直、非常に苦しい思いをしながらやってきたということですね。もうご覧の通り建物はボロでね、今日このワーナー・マイカル来てね、やっぱりすごい劇場だと思ってね、羨ましく思いましたよ。それと比べるとね「文芸坐」なんて見る影もないと、ほんとにまぁ、ひどいボロの劇場なんで。
 

安藤: 掃除をこまめにやるとか、いろいろ気をつけて、本当に劇場を愛されてたっていうのがすごく伝わってきたんですけどね。
 

三浦: まぁするしかなんですよね、せめて自分できれいに清潔にするしかないという事ぐらいしか、お客さんに来て頂けないですね。まぁ実際見ましてね、10年前と比べるとお客様、半分ですね。そのぐらい減ってますね。
 

箕輪: それで三浦さんは、先ほどもちょっとビデオにも写ってましたけど、「シネ・ウィークリー」の最終号なんかでも、やはりあのこういうような名画座が衰退してしまうっていうのは前から予見していたと。というより、正しく言えばこの「シネ・ウィークリー」っていうのはずーっと10何年も前から出されてて、事あるごとにそういうことを書かれてたわけですよね。
 

三浦: そうですね。今ビデオの中でもちょっとしゃべってますけど、やっぱりお客様とコミュニケーションしたい、対話したいっていうのがありまして、「シネ・ウィークリー」ってね、小さなリーフレットとも言えないスケジュール表なんですけど、その表紙に私、昭和47年からコメントを述べてきたんです。

つまり我々劇場がどういうこと考えてるか、どういうことやっているかっていうことをお客様にも知っていただきたいっていう気持ちがありましたので、いろいろコメントを積極的に述べてきたということがありましてね。お客様はもちろん映画産業の実状なんてご存知ないわけですから、こういう映画やれ、ああいう映画やれということをおっしゃるんですが、私たちもやりたいのですがやりたくてもやれないということがありまして。

映画会社がまず映画売ってくれないとできないし、映画のプリントが存在しなければ絶対できないわけですね。お客さんはそういうことご存知ないんでね、とんでもない古い映画をなぜやらないってことをおっしゃったりするんですけど、プリントが現存しなくてはやりたくてもやれないわけですし、仮にプリントがあっても映画会社が売ってくれなければ劇場はできないということがありますね。それで、もう17,8年前から私は「名画座っていうのはやがて壊滅するだろう」ってことを「シネ・ウィークリー」で発言を始めて、それを言い続けてきたわけなんです。事実その通り、名画座っていうのは壊滅ですね。東京都内でも、ついに「並木座」もやめましたし、名画座と呼ばれるようなものはなくなっちゃった。



ロードショーは半年経つとビデオ化される 名画座が上映する前にビデオが先に出る 
「1300円取らなきゃゃやらせないってこと言われるとね、お客が来るわけないですよね。」

三浦:それはなぜかと言いますと、名画座というものを私なりに定義しますと名画座というのは「古い映画を安く観せる映画館」。そうすると今の日本の映画産業の実状では、古い映画をやるということが出来なくなってきているってことですね。それはなぜかって言うと、今申し上げたようにプリントがないと上映出来ないんですけども、外国映画の場合は日本における上映権何年っていう条件付きで買ってくるんですね、輸入会社、配給会社が。昔は7年ぐらいっていう期間で買ってきましたけど最近それが短くなって、せいぜい2,3年ですね。ですからその契約期間が切れちゃうと、映画のプリントが残っていても上映ができないわけですね。

アメリカ映画の場合なんかは、これは日本に支社があってこれがアメリカ映画直接配給してるんですから、そういう期限っていうのはないはずなんですけども、ところがアメリカ映画っていうのはねぇ、映画を単なる商品としてしか扱ってませんから、いくら稼げるか、いくら稼いだかが問題であって、古い映画、どんなに優れた映画であろうともですね、一定の期間がたつともう「ジャンク」っていって廃棄処分にしちゃうんですね。倉庫が一杯になると、今倉庫料が高いですからもうとっとくのがバカバカしいと、どうせもう名画座くらいしかやらないんだしって、全部ジャンクしちゃうんですよ。だから数年前の映画をもう一回やろうかと思って映画会社に買いに行くと「いやぁ、あれはもうジャンクしましたよ」なんて言われることがしばしばでねぇ、で、びっくりしちゃう。やりたくてもやれない、というようなことになってるんですね。それがもう17、8年前から始まってるんですよ。それが年々きつくなる。最近じゃね、もう一年くらいでなくなっちゃう。


洋画はそんなことですから、「古い映画を安く観せる」って言いましても、古い映画をやる、上映するってこと自体が出来なくなってきている。「古い映画を安く」、その「安く」やるということを、またそれが難しくなってきてるんですよ。お客が減っているので、採算が合いにくい、安くやるっていうのが難しくなっていうのもありますけども、そればかりでなくて映画会社は勝手なものでして「入場料そんなに安くやられたんじゃダメだ。困る。そんなんじゃ映画、お宅に売るわけにはいかない」とこういうことなんですね。だから「最低1300円とってくれないなら、うちの映画お宅にやらせるわけにはいかないよ」ってこういうことなんですよ。

だいたいロードショー劇場の場合は、だいたい配給会社と劇場とが歩合契約でやってるわけですから、お互い相談し合ってある程度入場料を設定する、相談の上で決めるっていうことはしょうがないと思いますよ。配給会社が「ロードショー1800円」って言えば、そりゃある程度しょうがない、歩合で分けるわけですからね。ところが我々のような名画座と呼ばれるような劇場は、一週間幾らっていうようなことで、短売っていいますかね、フラット料金っていいますけど、それで買うわけですから、入場料幾らにしようとこっちの勝手じゃないかと言うんですけどね、そうじゃないんですね。「そんなに安くやられたんじゃ、うちの作品の格っていうのがある」とかね、ま色々うるさいこと言うんですよ。

ご承知のお客様いるかも知れないんですけど、ビデオが非常に盛んになって我々名画座が非常にダメージ受けた時期があったんですが、それに対抗するために「文芸坐」では『ビデオをぶっ飛ばせ』っていうタイトルで、「ビデオと同じ、二本立てを500円でやってやるっ」ってんでね、映画集めてやりました。でもね、「入場料500円じゃ出さない」っていう映画会社多かったんですね。「そんな安くやるんじゃうちの映画お宅にはやらせない」ってんでね。だから『ビデオをぶっ飛ばせ』ってんで二本立て500円でどんどんやってやろうと思ったんですけど、もうタネ切れですよ、たちまち。でいくら500円でもやるものがそんな良いものなくなっちゃうものですから、だんだんお客さんもこなくなる、と。ですからそれも自然消滅ですね。そんなことで安くやるということが非常に難しくなっちゃった。古い映画もやらない、安くもやらないって、これじゃ名画座としてはやっていけないってことになるんですね。
 

安藤: 入場料が高いっていうことでどんどん劇場・映画館に通わなくなる、足が離れるってことも原因の一つだと思うんですけども、今ロードショーされても半年経てばビデオが出てしまう、というところもなかなか難しいところで。
 

三浦: そうですね。ですがね、これは我々劇場から言うとねぇ、ロードショーが半年経つとビデオ化されるということが決まってるんですよ、これは洋画も邦画も同じなんですけども。これが「封切りの半年」って言っても封切りの初日から数えて「半年」なんですよ。そうしますと近頃ロングランが多いですから、例えば『タイタニック』なんてまだやってますよねロードショーね、『もののけ姫』なんて一年近くやったようなことになるんで。普通2,3ヶ月やるなんてザラでしょ、最低でも数週間はやりますね。そうしますと初日から数えて六ヶ月っていうとね、うちなんか名画座が上映する前にビデオが先に出ちゃうんですよ。そうするとビデオは一日、一泊二日でもって300円とかね、いうような値段で観られちゃうわけでしょ。それがうちが、しかも、1300円取らなきゃゃやらせないってこと言われるとね、お客が来るわけないですよね。これは入場料、お値段で勝負することは出来ないっていうことですよね、お値段の上では絶対ビデオにかなわないってことなんですよね。



成功しているシネマ・コンプレックス 快適な環境で映画観られる、映画館の本当の最低条件
…でも 既存の映画館も大事にして欲しい 

安藤: それでもどうしてもスクリーンで観たい、やっぱり映画館に通いたいってファンの方は、やっぱりいらっしゃると思うんですけども。
 

三浦:そうですね、今日おいでになっている皆さんはもちろんそういうお客様だと思うんですけども、私も劇場の人間ですし劇場で育った人間ですから、劇場・映画館で観る映画が映画なのであってビデオやテレビで見る映画はイミテーションとしか思えないんですよ。しかしですね、仮に映画館で観る映画の満足度が100としますと、テレビやビデオで観てもま、僕は30%ぐらいだと思うんですけども、0ではないわけですね。30くらいは満足度があると。そうするとね、それでいいやって思うお客さんも沢山いらっしゃるんですね。ことに、最近の若いお客さんはね、映画館で映画観たことないって言うお客さんも沢山いらっしゃるんでね。映画っていうのはテレビかビデオで見るのもだと思っていらっしゃる。テレビやビデオで観る、映画ってそんなもんだって思ってる方多いんですね。だからなかなか劇場に足を足を運んでくださらない、だから劇場がますますま逝って行くと、こういうことですね。
 

安藤:テレビで満足しちゃう、それはもう映画館に魅力がなくなったってことなんですかね。
 

三浦:映画そのものに魅力がなくなったってこともあるとおもうんですね。映画そのものに魅力がなくったっていうよりも、映画以外に面白い娯楽が沢山あるってことですね。別に映画観なくったってちっとも困らないよと。楽しみはたくさんありますよってことだと思いますね。これは私達が若い時代っていうのはもちろんテレビありませんし、ビデオなんてもちろんないですね、それからラジオしかないけどもラジオだって民間放送はない、NHKしかないって時代でしょ。そうすると映画っていうのはいかに素晴らしかったか、もう娯楽の王様だったわけですけども、今はですね、例えば若いお嬢さんでおこづかい溜めて海外旅行行くとかね、やれ冬はスキー、夏はサーフィンとかね、ちょっとその辺でお茶をのむ、食事をする、一杯飲む、もう楽しみは沢山あるんですね。映画なんか観なくてもちっとも困らないんですよ。だから別に映画の敵、敵っていう言い方はちょっとよくないかもしれないけど、テレビやビデオだけではないと。つまり日本ほど娯楽の種類が多い国って世界中他にないんじゃないでしょうかね。これだけね楽しみがあってはね、映画館にくるお客さんはむしろ非常に特殊な映画マニアっていうか、方しかいないと思いますけどね。
 

安藤:そういった娯楽が沢山ある日本の状況の中でですね、またやはり映画は映画館でみたいというお客様を取り戻すためには、どういう映画館がいいんでしょうね。
 

三浦:えーっとねぇ、まぁそれはあの私としては残念なことなんですけども、このワーナーマイカルその他がやってる、シネコンっていうんですね、シネマ・コンプレックスといいますね、一つの建物の中に多ければ十数館、最低でも七、八館並べて、七館あれば7種類上映できるというようなやり方が今成功している。しかもいわゆる郊外型、ここはちょっと駅前ですけども、だいたい郊外型ですね。今までだいたい日本の映画館というのは盛り場にあったもんなんですけど、郊外はほんと不便な所で真っ先にワーナーマイカルが作ったのは海老名ですね。あんな所に映画館つくったってダメだよ、最初は、ですから松竹に話を持って行ったらしいですけど、松竹はあんなところ商売にならないって断ったんですね。で、結局ワーナーマイカルがあれをやることになったんで、ま、ワーナーですね。

あんな場所でって言うけれども、あれはですね、結局ショッピングセンターと広大な駐車場と、それと映画館と、これが3つ3点セットでなってるんですね。これが3つ揃わないとうまくいかない。ですから、ここの場合はちょっと特殊だと思いますけどね。大体そういう形で全国展開をワーナーマイカルが始めて、海老名から始まって富山県の高岡とか岸和田とか桑名とか、あそこなんだっけな、えーっと四国と、まあ色々やりましたよ。で、今青森県の弘前とか福島とか、どんどんどんどん増えているんですけども。これもね、大変客を集めて成功しているんですけども、中には全部がうまくいっているわけでもない。弘前なんかはうまくいってないですね。それから広島なんかもお客があんまり来ていない。うまくいってない。ですからこういうシネマ・コンプレックスさえ作ればね成功するとも言い切れないですけども、ただたっぷりした座席、椅子も豪華な椅子、前後もたっぷり、それからスクリーンは大きい、音響はすばらしい。もう快適な環境で映画観られる。もうこれは、本当は映画館っていうのは最低それが条件だと思うんです。
 

そういう映画館をまとめて何館も作るっていう、こういう発想が日本にはなかったですね。だから松竹なんかはあっさり海老名の話断っちゃった。それから、博多にはキャナルシティっていうのができて、やっぱりシネマ・コンプレックスができてますけど、あそこは最初東宝に持って行ったんですけど、東宝は断ったんですね。東宝は既に天神っていうところで映画館何館もやってるんでそことかち合うから出来ない、それと意外と家賃が高い、っていうことがあって東宝はやらなかった。そしたらAMCっていうアメリカの資本が進出してやってますけども、こういう形で今伸びつつあるこのシネマ・コンプレックスが、今予定だけでも全国で四十数箇所予定されてるですが、まあこうなってくると、まず既存の映画館が皆やられると。もう既に弘前なんか壊滅しましたしね。なかなか難しい問題が出てきてるんですね。48個所もできるとねぇ、今度共倒れっていう危険性も出てくるんで、何とも言えませんよ。

通産省は今バックアップしてこのシネマ・コンプレックスを積極的に伸ばそうとしてますけど。まぁ僕らにしてみると既存の映画館も大事にしてもらいたいと。新しく出来るアメリカの資本をバックアップしなくてもいいじゃないかっていうんですけど、やっぱり外圧ってことがあるのか、通産省がアメリカ顔向けてるのか知りませんけどね。通産省は積極的にバックアップしてるね。それによって映画産業が再生するんだって通産省は言ってますけど、なかなかね、わたしはそうは思いませんね。そのうちにやっぱりうまく行かなくなるんじゃないかなぁ、と思います。



「映画の古典っていうのはね、是非若い人たちに観てもらいたいんです」
 

箕輪:実際、名画座の役割って、先ほど定義の中で古い作品を安く上映すると。僕は安いっていうのはちょっととっぱらったとしても、今皆さん結構不景気とはいえやっぱりちょっとぐらい入場料高くても、観たいものは観ると思うんですよね。逆に今回例えば、千円でこれだけ豪華なプログラムでもやっぱり満員にならないってことは、興味なければ安くても来ないっていう部分はあると思うんですよね。
 

三浦:今ね申し上げた通りね、『ビデオぶっ飛ばせ』って二本立て500円でやったってね、観たくもない映画は観にきてくれませんよ、お客さんは。ですからね、安けれりゃいいってもんじゃないっていうのは間違いないですね。安い方がいいんでしょうけども、安けりゃいいってもんじゃないっていうことは言えるんじゃないですかね。『タイタニック』なんか二千円取ったですね、ロードショー二千円ですよ。それでもね、超満員、一年間も続いている。なかなか難しい問題があると思いますね。
 

箕輪:だけど、名画座がやっぱり古い作品をっていう部分が大きいと僕は思うんですよね。結局こういうシネコンなんかだとやっぱり、まぁこういうことやらしてもらってこんなこと言うのは失礼だと思うんですけど、例えばメジャー系の作品ばかり偏ってしまってですね、あるいはこういう旧作みたいな、さきほどの『ジョニーは戦場に行った』なんか、こういうものはまずかからないと思うんですよね。そういう旧作の優れたものっていうのは、常に新しい映画ファンを開拓するためにも上映する場所というのは必要であると、僕は思うんですが。
 

三浦:まぁねぇ私も古い映画を一生懸命やってきた人間としては、おこがましいけども新しい観客の掘り起こしとか、再教育っていうか再認識していただくとか、色々なことがあったと思うんです。それから映画の古典っていうのはね、是非若い人たちに観てもらいたいんですけどもね。なかなかそういう風に行かないですよ、もうさっき言いました通り、プリントがなければやりたくてもやれないですからね。洋画の場合は古いものは観たくても観られない、っていうのが実状ですね。
 

安藤:それはプリントの問題でですか?
 

三浦:えぇプリントがなければダメですね。それからこれもさっき申し上げた通りね、日本における上映期限が切れちゃうと外国映画っていうのは上映できないんですよね。だからこの『ジョニー…』がどうしてやれたのか、僕ちょっとわかりませんけどね。これはヘラルドかな。
 

箕輪:これは日本ヘラルドが配給なんですけど、なかなかこういう映画祭では旧作の、あの…。ヘラルドさんは結構こういう旧作を沢山、ハリウッド系のを持ってらっしゃって、例えば『カサブランカ』とかも、やろうと思えば出来るんですよ。例えば『パリの恋人』とかね。やろうと思えばやれるんだけど貸してくれないんですね、要するにこういう所には。
 

三浦:それはね、ヘラルド・クラッシックってね『ローマの休日』とかね、当時のハリウッドの名作を沢山持ってるんですよ。買ったんですね。だから「文芸坐」なんかやらしてくれないですよ。なぜやらしてくれないかって言うと、一本で千八百円取らなければやらせない、とこうなんだね、それで歩合、ということですよ。じゃあね、「文芸坐」の古い映画を安くってことにならないでね。
 

安藤:それに反してしまいますもんねぇ。
 

三浦:しかも一本売りはしませんから。ハリウッド・クラッシック全部やってくれるんじゃなきゃ。ヘラルド・クラッシック映画専門の映画館じゃなきゃ出さないってことになってんですよ。一本だけねピックアップして買うなんて絶対させませんから。だから「文芸坐」はやりたくてもやれないまんま指咥えて見てたっていうのが実状ですね。
 

安藤:うわぁなかなか厳しいものがあるんですね。古い映画っていうのは若い人にどんどん見てもらいたいと思うんですよね。やっぱり私達みたいな若い世代も古いものを観て、今の新しいものを観て色々そういうものを見ていく中で感じるものがありますから、やっぱり「文芸坐」も休館、「並木座」も休館。ますますそのチャンスがなくなってしまったという感じを非常に受けてます。
 

三浦:そうですねぇ、しゃくだけどビデオでは古いものあるんですよ。これは誠にしゃくなんだけどねぇ、だから古い映画を劇場では上映できませんけれどもビデオではね、結構古いものが残ってますね。ビデオでは結構観られると思いますね。丹念に探せば必ずあると思いますね。そういう時代になっちゃったんですね。テレビでもね、最近のWOWWOWにしても、それから色々な衛星放送その他で相当古い映画をやってますね。私も随分古い映画をおかげで観ることができましたね。例えばこの間『栄光の都』なんていう名作があるんですよね、ジェームス・キャウニィですけど、キャウニィがボクサーになる話なんですけどね。これなんか私が20代の頃は何度観ても素晴らしいと思った映画なんだけど、何十年ぶり、そうですね、45年ぶりに観たって感じかな。これ、この前WOWOWで朝早く5時とかいう時間でやってましたけどね、観ましたけどね。
 

安藤:それこそやっぱり劇場で、スクリーンで流したいと思われたんじゃないんですか?
 

三浦:そりゃそうですよ。もし出来ることならこの番組「文芸坐」でやりたかったし、お客さんに観てもらいたい。観ればね、すごくいいんですよ。相手の女優さん、アン・シェルダンね、それがね、アーサー・ケネディ、アーサー・ケネディがキャウニィの弟になってるんですよね。アーサー・ケネディっていうのは、いわゆる脇役の役者としては大俳優になっていくわけですよね。それからね、『栄光の都』、驚いたことにエリア・カザンが役者で出てるんですね。『エデンの東』その他名作を作ったエリア・カザンが、しかもね、ギャングで出てるってことが面白い、ギャングで殺される役なんだけどね。なかなかいい役ですよ。キャウニィの親友で、二人ともね成功を夢見てニューヨークでね、一人はボクサーになるわけだけども、エリア・カザンの方は結局ギャングになるんですね。で殺されるんだけどね。なかなか貴重なフィルムですよ。昔の映画はねぇそういう面白さが、エリア・カザンがまさか役者やってギャングで出てくるとはねぇ、僕は当時でもね思わなかったですよね。当時エリア・カザンっていうのは大監督になってたですよ、日本で『栄光の都』が公開された頃はね。ま、というようなことですね。
 

安藤:また是非そういうね、「文芸坐」も休館を返上して頂きたいと思いますけど。



文芸坐の再興はあるのか
「映画館で映画を観ることによって映画界というものを何とかまた良いものに」

三浦:えーっと、ぼつぼつ時間ですか?
 

箕輪:だけどやっぱり今日お集まりいただいたお客さんは関心事ですから、これは避けて通れない質問なんですけども、「文芸坐」再興はあるのか、と。これは社長にとっては酷な質問かもしれませんけれど。
 

安藤:一番気になるところでもありますね。
 

三浦:えーっとね、そりゃ私としてはですね「文芸坐」の再建というか再興っていったらいいのかな、何とかしたいと思ってるわけなんですけども。さっきビデオでもちょっと言ってますけどね、まぁうちには金ないからねぇ、単独じゃ出来ないですね。もうそれだけの力がない。だから、有力なパートナーを見つけて何とかしたいと思って、色々やってきてるんですが。ま、名乗りを挙げてるパートナーもいくつかありましてね。そのうちのどれかに、やがて決まるんじゃないかなと、いう風に思ってはいるんですが。だだ、「文芸坐」自慢の天井の高さ、大スクリーンというのは、もう夢のまた夢でしてね。今どこの映画館もそうなっちゃったように、ビルの中に組み込まれた映画館ということにはならざるを得ないと思いますね。つまり映画館は採算が悪いですから、天井の関係でどうしても2フロア分いるってことがあってね、それだけでも非常に採算が悪いんで、映画館をビルの中に組み込んでも映画館が閉める分は小さければ小さいほどいいっていうのは、採算という面から考えるとどうしてもそういう風になっていくんですね。今だからどこの映画館も小さくなっちゃた。小さくてもそれで十分間に合う程度のお客様しか来てくださらないっていうこともあるんですけどね。
 

箕輪:それじゃぁ今日集まって下さったお客様にちょっとインフォメーションとして、せっかくこうして三浦さんお越しいただいたんで、実は三浦大四郎さん、こういう様なお話をですね、東武のカルチャースクールって池袋にあるんですけども、そこで毎月一回こういう風に映画の興行の話とか映画自体の話とか、なにしろもうこうやってもう何十年とこういう業界に携わっていた方なんで、エピソードは数限りなくお持ちなんですが、そういうお話をですね大体一回につき一時間半ぐらいかけて色々お話して下さるっていうのがあるんですよね。
 

安藤:お手元にお配りしたんですけども、こちらの4ページに先生のことが載ってるんですね。先生、どんな感じで、どんな雰囲気でこのクラスはなってるんでしょうか。
 

三浦:えーっとね、私はね大体映画界、あるいは演劇界にプラスになることは何でもやろうと思って長年やってきたんで、東武百貨店のカルチャースクールから話をしてくれないかっていう話があった時に、喜んでお引き受けしたんですが、最初半年っていう話だったんですね。で、一応半年6回、月一回ですから6回分、大体、第一回目はこういう話、二回目はこういう話って6回分話を計画をたてて書類にして出して下さいっていうんでね、私は考えてちゃんと作って出したんですね。で東武さんがもう半年やって下さいって言うもんですから、いいでしょうって。で同じ話をね繰り返してやればいいと思ったんですよ。いざ行ってみたらね、前私の講座に来てた同じ人が来てるんでねぇ、まいっちゃってね。同じ話するわけに行かなくなっちゃった。
 

安藤:結局この講座はどんどん続く訳ですね。
 

三浦:もう3年半やってるんですよ。
 

安藤:じゃぁもうこのあともずっと…。今日来て下さったお客様、本当に映画が好きな方だと思うんですよ。是非ですね、こちら池袋、池袋東武カルチャースクールの方に、どんどん、もっと三浦さんのお話を聞きたい!と思った方は是非足をお運びいただきたいと思います。そしてもう一つお知らせです。
 

箕輪:これはちょうど先月、さきほどのビデオでちょっと登場されましたけど、三浦さんの奥様の寛子さんがお書きになった本で『父、三角寛』という、こちら三浦大四郎さんの義父ですね、その方が最近サンカ小説家という立場から再評価の気運がありまして、寛子さん亡くなる前にお書きになった本なんですけれど、この中にも当然「人世坐」の事とか「文芸坐」のことなども色々エピソードとして書かれてますので、興味のある方は是非本屋さんでお求めになるといいと思います。
 

安藤:奥様が書かれたときにはやっぱりご協力なさったんですか、色々と?
 

三浦:えーっとね、書いてる最中はそんなに協力したってわけでもないんですけどね。なんか聞かれれば答えるってことなんですけど。家内は別にこういう本を書こうと思って書き始めたわけじゃないんですよ。ちょうど今から12,3年前に五木寛之さんが『風邪の王国』っていう作品を書かれたんですね。これで山窩(さんか)のことを書かれたんですよ。それで山窩(さんか)に興味を持つ人が急激に増えたってことがありましてね、それで山窩(さんか)について色々聞きたいっていう問い合わせがうちにも随分来るようになりましてね。山窩(さんか)を研究しようと思うと結局三角寛の著作物を読む以外にないんですね、他にロクな文献がないもんですから。で、皆さん三角寛の著作を読んでるうちに今度、「この三角寛っていう人物はなかなかとてつもない人物らしい」というようなことでね。
 

箕輪:こちらの方は「文芸坐」の自費出版の本でして一般書店では取り扱いないんですよ。それで今回こういうようなことなんで、本当に内容の濃い本でして、お値段ちょっと高くて税込みで五千円なんですけども、戦後映画史、「人世坐」から「文芸坐」の歩み、まあ1983年に出版されているんで、それまでの歴史なんですけども、ほんとに興行的なデータなんかも含まれまして、非常に戦後映画史がそのまま読んでるうちに分かるとういような、非常に貴重な資料が満載されている本でして。それでほんとに蔵の方からですね、「文芸坐」の蔵から特別に40冊だけ三浦さんに引っ張り出して頂きまして、今回販売できるということになったんですね。それで全作品終了後ですね、三浦さんまだ残って下さるということなんで受付の方でサイン会を行いたいと思っておりますので。5千円でお値段いいですけどもそれ以上の価値があることは僕が保証します。宜しかったら是非お買い求め頂きたいと思います。
 

安藤:そうですね。もうサインもして下さるというんでこんな機会は滅多にないと思います。是非お求め頂きたいと思います。ということで、先生色々長い間お話を頂きましてありがとうございました。
 

三浦:いろいろ宣伝していただいて、ありがとうございます。この『人世坐三十五年史』も出してもう15年ぐらい経っちゃってるんでね、本当は今年五十周年になるんですよ、つまりね。だから50年にもう一歩って所でね、遂にダメだったっていう誠に残念無念ってことなんですけどね。まぁ五十年史を出すつもりでいたんですけど、それは今後の課題として何とかしたいと思ってます。これでもね、これだけのものを作るのに5年ぐらいかかりましたから。
 

安藤:そうですかぁ、また是非続編を書いて頂きたいと思いますけれども。最後に今日来て下さった映画好きなお客様達に一言メッセージをお願いします。
 

三浦:まあ、これは皆さんのおかげで私もこれまで映画の仕事を続けてこられたという事で本当にありがたいと思っております。これからも是非、映画は映画館でと、いうことでお願いしたいと思います。ま、映画館で観る映画こそ本当の映画である、と。そりゃもうワーナー・マイカルでも結構ですから。是非、映画館で映画を観ることによって映画界というものを何とかまた良いものに、再開発って言ったらいいかな、再建するというような事を皆さんの力で出来ればいいなと思っております。宜しくお願いします。
 

安藤:先生、本当にどうもありがとうございました

(会場拍手)

三浦:こちらこそ、どうもありがとうございました。
 

安藤:ここでですね、先生に花束の贈呈があるんですけども。ちょっとお待ちいただけますか。市民スタッフの方から三浦先生に花束が贈られます。
 

市民スタッフ:長い間ありがとうございました。今後のご活躍をお祈りいたしております。
 

三浦:はい、ありがとうございます。どうもありがとうございます。

(会場拍手)

箕輪:もう一つですね、本日お集まりいただいたこちらのファンの方々、あるいは今村昌平監督をはじめとした今映画祭にゲストでお越し下さったお客様方に、「文芸坐」への思いを色紙に書いて頂きました。先ほどお客様の方にも書いていただきました。こちらを我々のほんのささやかなお礼の気持ちとして差し上げたいと思います。ファンを代表して僕から僭越ながら差し上げたいと思います。
 

三浦:いやぁこれは、どうもありがとうございます。何よりの贈り物です。

(会場拍手)

安藤箕輪:どうもありがとうございました。