細野辰興

「第3回しんゆり映画祭」に『しのいだれ』を持って参加して下さった細野辰興監督。細野監督の最新作『竜二 Forever』が、いよいよ3月2日から渋谷のシネ・アミューズでロードショウ公開されることになりました。

タイトルの竜二は、無論、皆様ご存じの異色俳優 “金子正次”が主演した名作『竜二』。1983年衝撃のデビューを果たした金子正次の短くも情熱溢れる生涯を、 高橋克典が個性豊かに演じた116分の力作です。バブル景気に酔いしれていた飽食の日本列島。時代を切り裂くように登場した名も無き伝説のヒーロー “金子正次”。1980年代、青春の渦中にあった細野監督は『竜二』をどのように受け止めたのか。そして今、疲弊と衰退の時代に何を語り継げようとするのか。
公開を前にした細野監督に武重邦夫(映画祭顧問)がインタビューしました。


武重「まず、この作品を映画化することになったキッカケだけど・・」

細野「以前、日本映画学校の細野ゼミにいた佐藤功次郎という学生が、 卒業直後に自分たちの卒業制作をモデルとした脚本を書いたんです。『ソラリスの海の犬たち』という脚本なんですが、 これが誠に莫迦莫迦しくて面白い。 映画莫迦っていうか・・。 僕は莫迦が好きですからね(笑)。 だから、 そういうエネルギッシュな青春を超低予算でも良いから映画にしたいと思って脚本を友人で東北新社クリエイツの辻井プロデューサーに読んでもらってたりしていたんです。そんなこんなしてたら、プロデューサーが生江有二さんが書いた『竜二、映画に賭けた33歳の生涯』を持ってきましてね。ちょっと、 これ読んでみてよって・・・」

武重 「なるほど。 それで金子正次の生き方にしびれたわけだ」

細野 「それもありましたが、 『竜二』の制作されていく過程が莫迦面白かったんですよ。 特に、監督が途中で交代したことなんか知らなかったですからね。目からウロコが落ちる感じでしたね。それに、『竜二』は自主映画ですからね。『ソラリス』と同じ要素がいっぱいつまっていましてね。半ばシロウトみたいな人たちが映画作りにうごめいている・・・・こりゃ面白いと思いましたね」

武重 「う〜ん、 うごめいている人たちねえ・・(笑)」

細野 「みんなが熱くなって、 ただ動いている(笑)」

武重 「爆発寸前? (笑)」

細野 「僕らが歳を重ねていくに従い失っていく・・・熱さっていうか。無論、映画を作っているときには熱さがあるんですが、もっと純粋な本質的な熱さですね。それが金子さんの仕事にはあった・・・そう感じましたね」

武重 「その熱さこそ、当時の青年達が『竜二』に熱狂した要因なんだろうね。あなたも竜二をヒーローとして崇めてたんだろう?」

細野 「いや、僕は必ずしもそうではなかったですね。ちょうど『竜二』が公開されたときに母親が死んでトラウマを抱えていた時期だったし、プロの助監督としてメチャクチャに忙しかったし、金子さんを凄い役者と思っていたけど同じ映画人と受け止めてましたからね。 僕より少し上の人たち、 団塊の世代の人達には熱狂的に受け入れられていましたね」

武重 「やはり、 時代との係わりから生まれた映画だよね。 僕は『竜二』を観たときにエネルギーより初々しさを感じたね。 今までのヤクザ映画にない清潔感みたいなもの・・・気持ちの良い映画だったな」

細野 「愚衆の時代でしたね。日本中がバブル直前の雰囲気に酔いしれ、豊かさが永遠に続くと豪語していた。反面、社会の底部を腐臭が漂い始めて嫌な予感がしてましたね。だから、ラストで竜二が安住を捨て家庭から去って行く姿に多くの人が自分を重ねたんでしょうね」

武重 「でも、バブルは活動屋のところだけ来なかったね(笑)」

細野 「でも、僕は歴史的にはバブルによって監督になれた一人だとされています。同じ年に60人以上の新人監督がデビューしているんです。」

武重 「ほう、60人もね!じゃあ、君はバブル監督だったんだ(笑)。ところで、 脚本で一番苦労した点について聞かせて下さいな」

細野 「金子正次という人は18年前に亡くなって存在していないですよね。 それで、関係者や周囲の人達に取材したんですが、いかんせん、時間の中で濾過されて“思い出の人”になってるんですね。実体が良く分からないんですよ。そこで考え直して、以前、 『しのいだれ』の時に日本を代表するヤクザ映画をまとめて観た事があったんですが、その時『竜二』に感じたある疑問を蒸し返しましてね」

武重 「ほう、どんな疑問?」


細野 「竜二は金子さんではなかった。むしろ、金子さんは竜二に自分に無い理想像を求めたんじゃないかと思ったんです。だから、あの映画を作ったのだと。そう思った途端、やはり、自分なりのドラマを構築しようと心に決めたわけです」

武重 「作家としての創作の部分ということかね」

細野 「ええ、プロモーションには絶対したくなかったですからね。自分なりの発見を大切にして映画を作りたいですからね」

武重 「さて、脚本が上がり撮影に入るわけだけど・・・」

細野 「これまた、すぐには許可が下りないんですね(笑)」

武重 「・・・配給問題か。東北新社は劇場持って無いからね」

細野 「ええ、もちろん、東北新社が配給会社を探すんですが、上映館の数やキャパによって制作費がどんどん見直されてくるんですね」

武重 「つまり、削られてくるんだよね(笑)」

細野 「結局、ゴーが出たのがクランクインの2週間前でしたからねえ。ほんと、準備が大変でした・・・(汗を拭く)」


武重 「キャステイングだけど、高橋克典は最初から考えていたの?」

細野 「いや、この作品は何年も前から東北新社で企画されてたらしいんですね。その途上で高橋君がキャスティングされたらしいんだけど、本人は今回初めて聞いたと言ってましたね。でも、僕のイメージに合っていたのでホッとしましたね」

武重 「そうだね。彼はある種の無頼を演じているのだが、本来の育ちの良さのようなものが垣間見える。そこが竜二の内面の“弱さ”“可愛さ”を感じさせるよね。実際の金子正次にもそういうところがあっただろうか?」

細野 「ちょうど、クランクインの1週間前に彼の故郷を訪ねたんです。瀬戸内海にある津和地島という小さな島なんですが、彼の生家は漁業と大きなミカン畑で生計を立てている豪農なんですね。彼はそこの次男坊で、部屋に上がるとまだマスコミに出てない写真が飾ってありましてね。それが繊細で、とても良い笑顔のお坊ちゃんなんですよ。ええっ! これ何って?本当に驚きましたね」

武重 「バーテンやアングラ劇団のイメージが先行してからね」

細野 「それから彼の書いた4本の作品を読んだのですけど、これが実に文学的で素晴ら しいものなんです。本当に驚きました。でも、おかげで彼の内面のナイーブさや優しさが僕の中でつながって来て、これは高橋君でいけると確信しましたね」

武重 「映画見て僕もそう思った。金太郎はともかく、以前、池端君のドラマでジュリアンソレルのような音楽家をやってたとき、品があって、日本には珍しい役者だと思ったことがあってね。ただ、この作品では口を閉ざした無頼セリフのためか台詞が聞こえ辛かった・・・」

細野 「セリフが聞こえないって、編集の岡安さんには何度も叱られました(笑)。現場では聞こえたんですがねえ(笑)」

武重 「そりゃ岡安さんの方が正しい。あの人は絶対正しい人なんだから(笑)」

細野 「まあ、これには一理ありましてね。高橋君としては金子さん本人より映画の『竜二』に寄せていくしか無いわけです。映画の中の竜二はドスを効かせた喋り方をしてますからね。こういう映画の難しいところです」

武重 「他の俳優さんでは、最初の監督役の香川照之がずば抜けて巧かったな。見た連中がみんな感心していたよ」

細野 「いや、僕もそう思いましたね。あの人はとにかく芝居好きで、とことん役と取り組む人ですね。以前、役所広司が凄いと思ったが香川さんも凄い人ですよ」

武重 「他では?」


細野 「皆、良かったと思いますが、木下ほうかも評判良かったですね」

武重 「僕はね、香川照之の存在がこの映画に厚みを持たせてくれたと思った。うつむき加減から見上げる目と、丸めた背中で時代を表現してしまう。あれ、志村喬の目に似てるね(笑)。凄い俳優になるんじゃないかな・・・」

細野 「そうかも知れませんね。そうなったら嬉しいですけどね」

武重 「この映画を見ていると、やはり、過ぎ去って行った時代というか、背後に闇の歓声が聞こえてくる。新宿の夜の雑踏とか酔っ払いの声とかケンカとか・・・人間のざわめきとか・・・今より皮膚感のある人間くさい社会かな。竜二はその象徴なのかしらね」

細野 「う〜ん。・・・なんか、男にならなきゃいけないとかあるじゃないですか。子供の頃からスリ込まれてしまっていて、どこか不自由にガンジガラメになってる人。一発勝負して一旗揚げる、そうやって男になるんだと上京してくる人達ですね。僕には可哀想に思えるんですよ。僕はそういうタイプでないし、相米さんは真逆の人だったけど、そうしてみんなが東京に集まって来た時代の最後だったと思いますね」

武重 「江戸時代から、東京は地方からの若い活力を吸い取って発展してきたんだ。ところが、最近は地方が衰退してモヤシみたいな若者が上京してくる(笑)」

細野 「金子さんみたいな人は現れ難いかもしれないですね」

武重 「寺山修司だって現れない・・・。最近の若者、みんな優等生に見えるもの」

細野 「去勢されたというか、若いのに熱さが無い。青春時に熱くないとしたら、お前、いつ人間やるんだと!そんな気持ちになりますよね(笑)。僕はね、なりふり構わず突っ込んで行く莫迦が好きなんです。特に、人を巻き込んで行く人間が好きですね。今村監督とかゴジさんとか相米さんを見てきたでしょう。仕掛けるたびに傷負って、傷だらけになって、それでも熱くなって仕事している。楽しいですね、そういうのって・・・」

武重 「話題を変えよう(笑)。今日、映画作りは低予算でやるしか仕方ないよね。そこで聞きたいんだけど、予算ゆえに撮影できなかった場面・・・あった?」


細野 「ありました。ありましたよ(笑)」

武重 「聞かせてよ、その幻の場面のこと(笑)」

細野 「石田ひかりさんが娘を連れて金子さんの故郷に行く場面なんです。夫がガンで余命いくばくも無いと伝えに行くんですね。これが、予算切れで撮れなくなった。あと50万あれば撮れたのにって・・・残念でしたね」

武重 「そういうのって、よくある事だものねえ」

細野 「冷静ですね(笑)」

武重 「今村組じゃ毎度だもの。映画が撮れただけでも感謝しなきゃ(笑)」

細野 「いい場面なんですよ。最後にフェリーボートで去って行くとき、娘が『今度はパパと一緒にこようね』と言う。そのショットが病院の金子正次の顔に重なる・・・ああ、あのシーンは撮りたかったですねえ」

武重 「またまた話題を変えるけど(笑)。今回の作品は関係者からの評判も良く、前売り券も順調に出てるって聞いたけど」

細野 「そうなんです。前売り券は劇場始まって以来の記録だそうです。試写会も連日満員ですし、試写段階でリピーターが続出して最高記録保持者は4回も観てくれてる。大阪や愛知から来てくれた人もいますしね。驚きました

武重 「当たって欲しい。大ヒットして欲しいな!」

細野 「期待してるんですが・・・」

武重 「大丈夫だよ。『しんゆり映画祭』の仲間は全国何万人もいるんだから(笑)。 じゃ、最後に監督からのメッセージをお願いします」

細野 「『しのいだれ』で参加したとき、市民スタッフの方々の映画に対する熱い気持ちに触れ感動しました。映画を作る者も映画祭を作る者も、その熱いハートは同じだと思い知りました。今回の『竜二 Forever』は映画作りに夢を抱き、命を賭けて生涯に1本の映画を残した青年の物語です。ご存じのように映画は手作りの生きものです。映画は呼吸しているし血管には赤い血が脈々と流れています。たかが116分の映画ですが、劇場の暗い空間の中で“竜二”をそっと抱き締めてやって下さい。竜二の呼吸を感じてやって下さい・・・」

武重 「公開前の忙しい時に、本日は本当にありがとう。成功を祈ってます」

細野 「こちらこそ、ありがとうございました」

僕が細野辰興と初めて会ったのは1976年の春だった。獨協を出て横浜の映画学校に入学して来たときのことだ。当時の学生たちは血気に溢れ、酒と女とケンカと映画作りが卍のように入り乱れた青春を送っていた。今日、まじまじと細野を見たのだが、不思議なことに当時と全く変わっていない。相変わらず轟音を発するダイナモみたいな熱気を感じさせる男だ。

10年くらい前か、彼のデビュー作を新宿の汚い劇場に見に行ったことがあった。トラック野郎が活躍するアクション映画だったが、映画が終わり明かりがつくと 観客は6人、それも全員が映画学校の先生や職員だった苦い思い出がある。それから何年かして『しのいだれ』を見た。前もって脚本を読んでいたのだが、想像以上の作品の膨らみに、彼の演出の腕力を感じて嬉しかった。

それから間もなくして、『シャブ極道』を見た。長い長い映画だったが、僕はスク リーンに釘付けになり動けなかった。馬鹿馬鹿しい映画だと思いながら、なぜか、最後にはシェークスピアの悲劇を読んだような、ある種の不思議な感動を覚えた。そして当然だが、『シャブ極道』 はその年のキネ旬のベストテンに選ばれた。

細野はテクニシャンではない。性格も演出法も剛腕直球の直情監督である。最近の映像至上主義からすれば珍しい正攻法の映画監督と言えるだろう。

今回、細野は金子正次に自分を重ね映画を創ったに違いない。「熱く生きなければ、人間やってる価値ないだろう!」これは映画の究極のロマンである。
取材:武重邦夫(2002年2月)

「竜二 Forever」は3月2日から渋谷のCINE AMUSEで公開!
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細野監督のHP「映画の用心棒

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