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Part10(2002年3月6日〜10日)
再現シーン・冬編

3月10日日誌の後をご覧下さい

2002年3月6日(水)
※注:写真は7日峠越えシーンのものです
今日はワダラのシーンの撮影の日。蚕仕事で使ったものを天秤棒につなげて作る簡易式の担架のようなものだ。かつて、この小松倉では病人がでると隣村まで運ばなくてはならなかったが、他の季節はともかく雪の多い冬だけは難儀だった。なんとか助けたいという一念で無理を承知で病人をワダラに乗せ峠越えを敢行したこともあったようである。

9時集落センター集合。今日の村人役は山古志村除雪隊の方々である。ワダラで運ばれる病人の役は小松倉の小川信雄さんだ。除雪隊の方は無理をいって出ていただいたにも関わらず皆さん、本当に気持ちよく引き受けていただいた。感謝でいっぱいである。

集落センターで昔の衣装に着替えていただいた。年配の方はともかく若い方は古い衣装が珍しいらしく、照れながらも興味津々といった感じ。年配の隊員の方に冷やかされながらもまんざらでもない様子だ。しかし、こうしてみると昔の衣装というのは実に機能的であるということがわかる。たとえば「ももひき」は素材がよく、田んぼ仕事で汗まみれ泥まみれになってもそのへんの水で洗えばすぐ乾くし、腿にぴったりすいつくような触感でなおかつ軽い。農民の仕事着としては出色のものだ。現に古い方はいまだにこのモモヒキを愛用しているという。これを着慣れたら他のものでは駄目だそうだ。無駄を省いた機能重視の衣服。生活の中から生まれた文化そのものだといえなくもないだろう。








準備は整ったものの天気がいまひとつ。晴れ間が見えてしまっているのだ。雪が欲しいという贅沢は言わないからせめて曇って欲しい。晴れ間で人物の影が映ってしまっては何が冬の厳しさか、ということになる。

待つこと1時間。なんとか曇ってきたので撮影現場へ移動することにする。ここでも雪上車のお世話になる。撮影部が機材を積み、第一陣で現場入り。続いて役者と美術部が現場入り。

天気が変わらないうちに急いでシュート。前もって現地下見を済ませているので撮影自体はスムーズに進んでいく。何パターンも場所やサイズを変えて撮る。雪道に蓑と笠の衣装が映える。サクサクという足音だけが山の静寂の中に響いていく・・・。50年まえにタイムスリップしたような・・・。人間がお互いをいたわり合って、助け合って生きていた姿が彷彿といてなんだか不思議な気持ちになる。

今回の映画は撮りながら我々自体が考えさせられることが多い。撮りながら考え、考えながら撮っている。それは一体何なのかを知るために・・・・・。トンネルを入り、向こう側の出口をめざした我々自身の旅だといえなくもないのだ。「千と千尋」ではトンネルの向こうに不思議な場所があった。では、我々のトンネルの先には・・・・。キューブリックの2001年宇宙の旅で猿が投げた骨は宇宙船になったが、50数年前のこのトンネルは一体なにを我々に伝えてくれるのか・・・・。




はて、本題を離れてしまった・・・。とにかく無事ワダラシーンの撮影は終了。除雪隊のみなさん、信雄さん、本当にありがとうございました。あすは予報では雪。もし降らなかったら・・・。大丈夫、この映画が本当に人々に届けるべく使命を負っているのなら山の神はきっと我々に微笑んでくれるに違いない。だめなら我々の思いがまだまだ足りないということなのだ。夜空を見つめながらそう思うことにした。
(監督 橋本信一)

2002年3月7日(木) 峠越えシーン
前日の仙人達のよみは当たり、朝早くから雪、雪、雪。スタッフの朝食のハシは進み、橋本さんも大はしゃぎ!


すこし雪に安定感は無く、峠に着いてからやカメラをセットしてから多少の雪待ちはあったものの、時間が経てばたつほど雪は乾いた大粒のものになり、絶好の撮影日となった。理想の雪が降り、スタッフみな気合が入り始めた。何度か雪が弱まるが、午後に近づくにつれ雪は大粒になる・・・




いや!大雪!まさかここまで降るとは思っていなかったため、装備は比較的軽い装備・・・正直、途中から「これは降りすぎだろう・・・」と思ってしまう俺がいた。その気持ちとは反対に、カメラマンの松根さんは大興奮!!待ちに待った雪が目の前で降っている・・・それも大粒!いや大雪!雪にカメラマンに振り回される俺・・・


ズボンはパンツまでびしょぬれ!撮影用の道具も使い物にならないくらいびしょぬれ・・・はたして撮済みテープは大丈夫だろうか?

正直・・・「ちょっと落ち着こう!」と雪にも言いたかった・・・

今夜このまま降りつづけたら、明日のトロッコシーンはうまく行く?

んー・・・もうこの辺で止んでほしい・・・
  
今は服も乾き、平和にくつろいでいる俺がいた・・・・。
(撮影助手 根本祐樹)

2002年3月8日(金)
前日からの雪が一時止んだと思いきや、またまたどっと降ってきた。きのうの雪とは違い、サラサラの雪だ。積もっているのもパウダースノー。しかし、今までの天気がウソのようなこの2日間の雪は一体!?我々の祈りが通じたのであろうか・・・?

で、この雪もどうなるか分からないのでトロッコシーンの残りをまずかたずけてしまおう、ということになりロングショットから。作業小屋にも雪が積もり、木々も雪化粧されていて、とてもいい感じだ。

で、ここから先は判断が迫られる局面。このまま雪は降る続くのか、それとも止んでしまうのか・・・・。問い合わせてみると、どうもこのまま降り続きそうだ。よし、ならばという訳で以前、2日早朝から撮影した分もリテイクしてしまおう!ということになった。そうだろう、大変かもしれないけど、やっぱりこの雪、この積雪を見逃す手はない。待ち望んでいた雪なのだ。

急ぎ移動車を下ろし、移動ショットをリテイクし、ベトを降ろすシーンなどを撮り、レールを引きなおしてトンネルから出てくる所を撮って終了!除雪隊のみなさんも応援にきてくれたおかげでスムーズに作業もすすみ、無事終わった。

貴明さん、勝司さん、3日間寒いなかご苦労さまでした。そういえば寒さと雪で濡れたおかげで手の感覚が3回くらいなくなり作業小屋の中に手を暖めに行った時の事。お二人が「助監督さんてすごいですね。半袖Tシャツ一枚で・・・。」といっていた。・・・・いいえ、助監督うんぬんではなくて、あれは熊殺しが凄すぎるだけです。普通の助監督はあんな格好はしていません。念のため(笑)。
※注:熊殺し・・・・助監督の塩浜君の屋号
(ビデオエンジニア 小島尚大)

2002年3月9日(土)
昨夜は映画スタッフと小松倉、除雪隊の応援の方々などのお疲れ会。冬の撮影のアップの日でもあった。昨日の宴は例によって大盛り上がり。山古志村の方々と親睦を深めることができた。

本日は片付け、掃除の日。朝からトロッコレールの移動、集落センターの撤収、借り物の返却。村の若い衆が手伝いに来てくれた。一司さんにはまたユンボを出してもらい大助かりだった。お昼にはうまい!といわれる堀之内のラーメン屋「土佐や」へ行く。いや〜、うまかったッス。しかし、役場の超グルメ某氏のおすすめの店だけあって量が多い。もう一週間はラーメンを食べなくてもよさそうです。某氏いわく、「おいしいものを食べた後に言葉はいらない。フッとため息ひとつあればいい」・・・・・なるほど含蓄のある言葉だ。納得。

いろいろあった冬の撮影、なにはともあれ撮り切った。雪も降った。めでたし、めでたし。
今回のベルリン映画祭はトンネルを超えた不思議な場所の映画がグランプリを取ったらしい。日本映画らしい。アニメーションらしい。これはチャンス。これもトンネルの向こうの不思議な村の話だ。きっとこの映画はうまくいきますよ!マジで。
待ってろよ!世界。
バンザイ!山古志村。
(美術 山形哲也)

2002年3月10 日(日)
今日は空撮の日。スタッフの本隊は昨日、すでに東京に戻ったので僕と松根カメラマンの二人での撮影だ。朝、一緒にヘリに乗る小川喜太郎さんの家へ行き、まずは天気判断。残念ながら今日は快晴。え?快晴で何が問題なのか・・・。

今までの再現シーンはすべて冬の厳しい生活をベースにしたものであり、天気があまり良過ぎると今までの画とつながらない可能性がある。おまけに影も出てしまう。穏やかな冬のイメージではない。我々の撮ってきたものは冬の厳しさであり、雪のつらさだったから。

新潟の朝日航洋と連絡を取り、いちおうヘリポートに集合して天気を見ながら飛ぶタイミングを図ることにする。

ヘリポートの朝日航洋のスタッフは気象の専門データを駆使しながら我々をサポートしてくれる。待つこと数時間。新潟ではすでに黒い雲が出始めているとのこと。飛ぶなら今だ!タイミングを逃せば雨になるかもしれない。ヘリは雨には弱い。雷も鳴るような予報が我々を緊張させる。

ヘリは我々3人とパイロットを乗せて山古志上空へ向かった。最初のカットは長岡や小千谷などの平坦な土地と中山間地である山古志村とを対比するカット。もちろん信濃川も入れ込む。やや気流が悪いような上空にとどまりながら、松根君は必死にカメラを回してくれる。何度かの挑戦ののち、OK。今度は村の集落の感じを見せながら小松倉へカメラが入っていくカット。これもOK。

その後は次々とカットを撮っていく。なにせ空撮は高い。1時間しか予算はないので限られた時間を有効に使わなければならない。小松倉上空のカットでは何人かの村人が顔を出していた。家の中にいて下さいね、と一応は頼んだのだが我慢できなかったようだ。仕方ない。空撮なんてあんまり見れるもんじゃないもんなあ。

最後に村の全部の集落をフォローするカットを撮って予定終了!!

小出のヘリポートに降り立つと松根君はぐったりとしていた。元々、高いところは苦手なのに加え、ファインダーをずっと覗いているので酔ってしまったらしい。でも、彼は撮影中は決してそんな素振りはみせなかった。

今回一緒に乗ってくれた小川喜太郎さんには助けられた。山古志村の地形を上空から正確にアシストしてくれ、本当に助かった。心から感謝したい。

空撮終了後、村の方々に挨拶して、帰京。帰途に着いたのは夜の9時近くだった。冬の撮影は終わった。天気に悩まされつづけたスケジュールだったが終わってみればなんとか帳尻は合ったような気はする。
やはり、山の神はこの映画の味方だったのだ・・・・・。
(監督 橋本信一)



3月10日↑の空撮シーンのヘリ操縦をご担当された、野々山松彦さんからメッセージをいただきました!
山古志村空撮を担当させていただきました、朝日航洋のヘリ操縦士、野々山と申します。

空撮後、中山隧道に興味を持ちまして、インターネットで調べていたところ、ここにたどり着きました。(空撮する前に見ておけばよかった!)トンネルの歴史や、背景等がよく分かり、興味深く拝見させていただきました。

撮影当日は、橋本監督の映画制作日誌にあるように朝から晴天でしたが、日本海のほうから寒冷前線が近づいてきており、昼から天気は急に悪化するという予報でした。予報どおり、昼過ぎから曇ってきて(新潟市内はすでに雷雨)、急いで離陸、ヘリの空撮では珍しく雨の降りそうな中の空撮となりました。寒冷前線に吹き込む南よりの風が強く、所々気流が悪い状態でした。トンネルの小松倉側は山の風下になり、下降気流等で空撮中ヘリのパワーが一杯になることもありました。

橋本監督、松根カメラマン、役場の小川様にヘリに搭乗していただきました。
当日は大変ありがとうございました。空撮中は、気流のこともありますが、ヘリを横滑りさせての空撮も多く、ヘリが安定しない事もあったため、松根カメラマンには特にご苦労をお掛けしてしまいました。

ヘリのドアを外した状態での空撮でしたので、雨が降り出したら即空撮中断となってしまいますが、ちょうど空撮が終わって小出ヘリポートに帰投する時に雨が降り出しました。今思えば本当にいいタイミングで飛行できました。

映画は絶対に見てみたいです。新潟の山村の冬の生活や、トンネルを手で掘った背景や苦労が映画を見たらもっと良く分かることができそうです。
今は編集作業で忙しい時だと思いますが、橋本監督はじめ関係者の方々、がんばってください!
楽しみにしています。
野々山 松彦    Nonoyama Matsuhiko
  朝日航洋株式会社 AERO ASAHI CORP.
  東日本航空支社 機長


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