今村昌平監督が5月30日、永眠されました。カンヌ映画祭で2度のパルムドール大賞を受賞した世界の巨匠であり、KAWASAKIしんゆり映画祭にとっては、「映画祭」の生みの親でもありました。

本コーナーでは、今村昌平監督とKAWASAKIしんゆり映画祭との関わり、監督ゆかりの人々の声などをご紹介します。

<プロフィール>
今村昌平 
1926年、東京都生まれ。父は開業医。黒沢明作品を観て映画監督を志し、1951年、早稲田大学第一文学部卒業後、松竹大船撮影所に入社。助監督として小津安二郎の「麦秋」や「東京物語」につく。1954年に日活に移籍し、川島雄三のチーフ助監督に。「風船」(56年)、「幕末太陽傳」(57年)では、脚本も共同執筆。「盗まれた欲情」(58年)で監督デビューし、同年の「果しなき欲望」と合わせて、ブルーリボン賞新人賞を受賞。続く「にあんちゃん」(59年)は文部大臣賞、「豚と軍艦」(61年)ではブルーリボン賞ベストテン第1位に。一作ごとに評価は上がり、「にっぽん昆虫記」(63年)では映画賞を総なめにし、欲望にかられる人間を捉えた独自のスタイルを確立する。「赤い殺意」(64年)の後、1965年に日活を退社し、今村プロダクションを設立。傑作を撮り続けるが、企画・制作の苦労もあった。1975年、映画人育成のため横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)を創立し校長に就任。「楢山節考」(83年)と「うなぎ」(97年)で、カンヌ国際映画祭パルムドール賞(グランプリ)を二度受賞という快挙を遂げた。世界の巨匠11人がそれぞれの視点で描いた「11’09”01/セプテンバー」(2002年)が遺作となった。1986年、日本映画学校が新百合ケ丘に移転。1997年、川崎市文化賞を受賞。2006年5月30日死去。享年79歳。