わが映画鑑賞デート(?)の歴史

よしだしほ

何がきっかけで、そう思うようになったかさだかではないのだが、わたしはかねてから、映画の話ができる人と人生を共にしたいと思ってきた。(と宣言してしまおう。)
以前、読書が一番の趣味だったころは、本の話ができる人と人生を共にしたいと思っていた。

さて、さかのぼること22年前。
人生最初のデートで観たのは、ペーターゼン監督の『U・ボート』とジョン・トラボルタ主演の『ミッドナイト・クロス』。
奈良市内の東向商店街にあった古い二番館でのお尻が痛くなるような2本立ての後、2人で若草山一周という過酷な散歩のあいだ、彼は、第二次大戦中のドイツの戦備についてたくさん語ってくれた。
映画2本立てはあたりまえ、トレッキング大好きの今なら願ってもないデートなのだが、アンニュイな女と呼ばれていた当時のわたし…。
彼の名前は思い出せないが、あれから『U・ボート』は3回観た。
先日『K−19』を観たが、『U・ボート』の方がすごかったと思う。

大好きな人とはじめて観たのは『フラッシュ・ダンス』で、感動しておいおい泣いてしまった。
後日、あのダンスシーンは、ジェニファー・ビールスが踊っているのではないと人に言われてびっくり。
彼と手をつないで観ていたら、気づかなかったのね。
『フット・ルース』も一緒に観た。
彼と映画を観るのはいつも恋愛映画で、そしていつもわたしは泣いていた。
どんな映画でも、それが宝石のように心に入ってくる瞬間があるものだし、その時はまさにそんなコンディションだった。
『フラッシュ・ダンス』をもう一度観ることはないと思うが。

話は脱線する。
学生時代の友人で、美術・宝石関連の商社に勤め、海外での買いつけを主な仕事にしていたチカ。
どういうわけか、いつもうまくいかなさそうな恋愛に呻吟し、その時々の激しい恋を、長い手紙に書き送ってくれた彼女。
日本で変わり映えのしないOL生活を送っていたわたしは、テルアビブだったり、アントワープだったりするエアメールの消印を見るたびに、今度はどんな恋をしているのかしらんとわくわくしながら、封を切ったものだ。
メールでのやりとりばかりになってしまったこの頃、彼女の手紙の、心中を推し量るに余りある乱れた字をなつかしく思い出すことがある。
そんな彼女が、サンフランシスコでベトナムから来た華僑の学生と恋に落ちた。
その頃、マルグリット・デュラスの「ラマン」が上映され、彼女から「こんなに心を動かされた映画はない、何度も観に行った」と手紙がきた。
れれれ?レオン・カーファイの裸の背中はかっこ良かったけど…。
華僑同士の結婚が習しとなっている緊密な華僑社会に、恋の行く手を阻まれていた彼女にとって、これが泣かずにいられようか、という映画だったのだろう。うーむ、おそるべし恋の魔力。
ベトナム人の彼とは、アメリカを離れたのを機に別れたようで、その後もイスラエル人の恋人に招かれて、彼の家で“過ぎ越しの祭”を体験したのだとか、さまざまな恋の話を綴った手紙が届いた。
今、ベルギーで幸せな結婚生活をおくる彼女が、もう一度「ラマン」を観たらなんて言うだろう。

話をもどすと、15年前、わたしをキョーレツに映画好きに感化した友人がいた。
ここでは名前をS君としよう。
S君は電話をしてくると、観た映画、感動した映画、笑った映画、とにかくさまざまな映画の話をしてくれた。
わたしが、観ている観ていないにかかわらず、あらすじから見所まで、詳細に話してくれた。
わたしは、彼に薦められるままにたくさんの映画を観た。
仕事帰りに待ち合わせて、一緒に観に行った映画もいっぱいある。
観終ったら、映画館そばの喫茶店で、今観たばかりの映画の話をした。
話をしながら、わたしは彼がどんなことに心を動かされ、どんなことに怒り、思いがけず泣いたりしたのかを知った。
そして、映画が引っぱり出してきた少年時代の彼、家族のことなど、色んなことを知った。
わたしも、ほんとうに色んなことを、こんなに話したことはないぐらい話した。
帰りの電車の中でも話続け、駅でさよならの手をふる時まで、いつもずーっと映画の話をしていた。

(しつこく言う)わたしはかねてから、映画の話ができる人と人生を共にしたいと思ってきた。
にもかかわらず、なぜかわたしは、映画を全然観ない人と一緒に暮して12年になる。
しかし、特に困ってはいない。
困るのは、時々「こんなはずではなかった」とわたしの心がささやく時だけだ。
このままだったら、死ぬまぎわに
「ああ、どーしてわたしは、映画を観る喜びをわかちあえる人と一緒に生きてこなかったのだらう?」
と後悔するかもしれないと考えてねむれないこともある。
こんなわたしのことを大げさだと、誰が笑えようか。

S君に、結婚して東京に行くよと告げた日も、やっぱりわたしたちは映画を観ていた。
エミール・クストリッツア監督の『ジプシーの時』。
あれからクストリッツアの『アンダー・グラウンド』を観たよ。
『パパは出張中』もビデオで観たし、『黒猫・白猫』は大好きな映画になったよ。

先日、くだんのS君にあった。5年ぶりである。彼も結婚をして、電話がかかってくることもまれだ。
東京出張の帰りに時間があるからと、プランタン銀座のなかのカフェで向いあって座った。
開口一番。
「今日ね、恵比寿でアルトマン監督の『ゴスフォード・パーク』観てきたのよ。昔さぁ、傑作だっ、今年のベスト1だって言われて観た『ショート・カッツ』は、あたし、あのエンディングでこけたのよねぇ」。なんたらかんたら(中略)。
いつしか陽が西に傾き、空に星が瞬いても、新幹線の時間だからと手をふる時まで、わたしたちはやっぱりずーっと愛する映画の話をしていた。

時々わたしは、試みる。
『ゆきゆきて、神軍』(原一男監督作)や『ブエナ・ビスタ・ソーシャルクラブ』なんかを家庭にもちこんでみることを。
平和なお茶の間が、修羅場に変わることもあるし、快適な昼寝の場と化すこともある。
改革に痛みはつきものである。

> KAWASAKIしんゆり映画祭TOP > シネマウマエッセイTOP