深夜の電話

三浦規成

最近、大学時代、放蕩な生活を送っていた頃のことをよく思い出す。もしかしたら、脳出血になって以来すっかり品行方正になった私の脳細胞が昔をなつかしんで誘惑の言葉をささやいているのかもしれない。今夜もある出来事を突然思い出した。

それは、深夜突然の電話だった。
「はい、三浦です。」
「返してください。お願いします。」
「・・・・・・・・?」
酔った頭にいきなり男の切迫した声が飛び込んできた。
当時NHKに入局し函館放送局に赴任した私は、初めての一人暮らし。給料も一人で使いたい放題で、毎晩常連になった居酒屋通い。若さに任せて、その夜も、しこたま飲んでいた。
「あのー。三浦ですが」
「○○といいます。返してください。お願いします。」
「三浦ですが、なんでしょうか?」
「電話でもうしわけありません。返してください」
「返すって何を」
「孝子(仮名)を・・・。にょ、女房を返してください!」
「女房!!・・・・・??????」

聞けば相手は私が大学時代通っていた新宿ゴールデン街のある店のママ(といっても20代前半)・タカちゃんの連れ合いの映画のカメラマン。私は、NHKに入る直前タカちゃんを通じて、ご主人がカメラ助手を担当するATG映画のサード助監督に誘われていた。サード助監督といっても体のいい無料奉仕で、食事だけでるという重労働のアルバイトだったに違いないが、生涯の仕事を探していた私は真剣に悩んだ。いまインターネットでスタッフ表を調べると助監督のなかには荒井晴彦さんの名前も見える。

タカちゃんの店はカウンター10席もない典型的なゴールデン街のスナックだったが、食べ物がおいしいこともあって私は週に2〜3回かよっていた。朝まで飲んで夜明けの新宿公園を一緒に歩いたことも何回もある。淡い恋心をいだいていなかったといえば嘘になる。しかし、函館に赴任してからはたまの休みに東京に帰った時、ゴールデン街に行ったとき店に立ち寄るだけ。「女房を返せ」と言われるようなことは、何もしていなかった。
「すみません。ここにタカちゃんはいません。僕は単なる店の客でタカちゃんとはそういう関係ではありませんし、函館で2DKのアパートで一人暮らしをしています。」そう言うと電話の主は「居所が判ったら教えてください」と言ってあっさり電話を切った。

最近50歳近くになって、自分に別のどういう人生があっただろうと考えることがある。カメラマンから奪った女房を新宿ゴールデン街で働かせながら監督を夢見る映画の助監督の人生もすぐ近くにあったのかもしれない。

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